西日本豪雨による甚大な被害が出ている岡山県の被災地で荏田南在住の内野敦さん(51)が7月中旬の2日間、ボランティア活動を行った。被災地の状況や現地での活動などについて話を聞いた。
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「後悔した」
荏田南で酒と米うちのを営む内野さんは、1995年の阪神淡路大震災が発生した時、「手伝いたいな、でも遠いな…」と気持ちが揺れていた。「困っている人がいるのに、現地に行けなかったことを後悔した」と当時を振り返る。同時に「次に大災害が発生したら行こう」と決意したという。
東日本大震災後、女川町(宮城県)でのボランティアに始まり、翌年には竜巻被害にあったつくばでの活動など、これまで過去7年間に海外での作業を含め23回のボランティア活動をしてきた。
「人出が足りない」
横浜駅出発の深夜バスで15日の午前7時半に倉敷入りした内野さん。その後、倉敷市災害ボランティアセンターに向かい、受け付けを済ませ真備町へ向かった。真備町は地区全体の約3割が浸水したとの報道もあり被害が大きい被災地だ。
内野さんは約20人のボランティアをまとめるリーダーとして電線よりも高い水が襲った被災地で作業を行った。活動場所は高齢女性の一軒家。2階の窓の約半分まで水がきたそうで、家の中はぐちゃぐちゃの状態だったという。内野さんらは家財道具や畳などを運び出していった。濡れた畳は非常に重く、大人8人で1枚ずつ外に運んだ。
「一刻も早く床板を片付けてあげないと、水で家が腐ってしまう。現地はとにかく人手が足りない」と内野さん。その日はレンタカーの中で寝泊まりし、夜を過ごした。
翌日は豪雨時にアルミ工場が爆発した総社市での活動に尽力。「爆風で工場向かいの集落は壊滅的な状態だった。どこもかしこも窓が割れて無い。来て初めて状況が分かった」。この日も被災住宅での床板はがしなど力仕事で汗をかいた内野さん。2日間の活動を終え、センター南駅に着いたのは午後11時を過ぎていた。
内野さんは「(被災地で)ボランティアをさせていただいているという気持ち。今後も活動したい」と語ってくれた。
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