『偲ぶ』シリーズ(下) 常に笑顔「和顔施」貫き 下川井町の書道家・萩野則之さん
書道とゴルフ。生涯をかけて向き合った2つの世界に足を踏み入れたのは、40年ほど前のことだ。
農業と酪農に明け暮れていた萩野さんが「習字をやってみたい」と相談を持ちかけたのが、現・都岡幼稚園=下川井町=園長の瀬戸正雄さん(84)。お祭りや相撲大会を企画する都岡青年団の仲間だったという。
「昼間は乳搾り、筆を持つのは夜中。練習で書いた半紙、ざっと200枚を手に毎日うちに来ていた」。当時、小学校で書道を教えていた瀬戸さんは振り返る。
書道教室を始めた同年、一里山ゴルフセンターの開業前にも瀬戸さんを訪ねた。「則ちゃん、やってみなよ」。その一言が、ゴルフ未経験だった萩野さんの背中を押した。「始めたらとことんやり尽くす人」という通り、長男の薫泉(まさもと)さん=写真=に経営を譲ってからも店に出て、お客さんと会話を楽しんでいたという。
◇ ◇
「昔のことでいろいろ書きたいことがあるんだよ」。記者を呼び出したのは、昨年の年明けすぐ。召集令状、空襲、青年学校、屋根換えなど戦時中だった小学生時代を舞台に、日常生活の身近な出来事に着目。本紙連載「あのころ」が昨年2月11日号からスタートした。
「頃は昭和20年2月16日のことである」という書き出しで始まる最初の寄稿文。人並み外れた記憶力で日付や地名、個人名など細かい情報を網羅しており、関心を集めた。ぼんやりしていた戦争の記憶がよみがえった、嬉しい―。読者から寄せられた感想の手紙を目にすると、口元が緩んだ。
胃がんが発症し、字が思うように書けなくなってからは、長女の恵子さんが原稿を清書するように。それでも「書く話題はいくらでもあるから」と、病床で先々の構想を練り続けた。
今年1月27日号の掲載記事、第31回「蚕」が最後の寄稿になった。
常に笑顔で―。三女・睦子さんに説いていた心構えの一つ「和顔施」。病室では看護師を笑わせ、最期まで周囲を和ませていたその姿は、家族や知人の心に焼き付いているに違いない。(了)
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