旭高校 創立40周年迎える
旭高校 開校へ
1973(昭和48)年4月に開校した神奈川県立旭高校。神奈川県は当時、公立高等学校の数が53校と少なく、中学卒業者の急増と高校進学率の上昇に対応するため「15の春を泣かせるな」をスローガンにした、高校百校新設計画を策定。同校はその第一号として港南台、藤沢工業とともに歴史の幕を開けた。
もともと、周辺地域では旭地区高校誘致委員会が結成されており、「都岡」や「都筑」といった校名を希望する声が多かったという。しかし、西治夫初代校長らの「もう少し広い校名に」との意向により、校名は旭高校に決定した。
開校から翌年の夏までは、県立希望ヶ丘高校に校舎を間借りする形でスタート。校舎の完成に合わせて現在の同校へ移転した。
スポーツで躍進
開校から4年後の77年にはサッカー部がインターハイ県大会優勝、本大会でもベスト8に。女子ソフトテニス部も全国大会に出場した。翌78年はサッカー部に加え、ライフル射撃、女子バスケットボール部も県大会で活躍。これまでにサッカー部は全国高校選手権大会に5回出場、サッカー部所属ではないものの今年度の3年生には、Jリーグのチームに入団する生徒が3人在籍している。そのほか、体操や陸上競技部などもたびたび全国大会に出場。現在は女子バスケットボール部の活躍が目立ち、今年度は全国大会に出場した。河村一夫教頭は「創立当時から勉強とスポーツを売りにして積み重ねてきた結果では」と話す。
勉強に関しては、数学や英語は15から20人ほどの少人数授業を実施。現役での進学率も高く、昨年度は6割以上の生徒が4年制大学へ進学している。
2000年代からは県立高校の統廃合が進むが、その多くは百校計画で新設された学校。こうした状況の中、同校に再編等の話は一切なく「来年は1クラス増える。生徒数が増えることで部活や行事なども活性化していくのでは」と河村教頭。50年、60年、もっと先へ。伝統は受け継がれていく。
文武両道で歩んだ歴史
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