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金沢区制70周年記念連載 「地元の歴史 振り返る」第4回 六浦津と朝夷奈切通 文/NPO法人横濱金澤シティガイド協会本コラムでは2018年に金沢区が区制70周年を迎えるにあたり、シティガイド協会の協力を得て、地元の歴史を振り返る

公開:2017年5月25日

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朝夷奈切通(大切通)
朝夷奈切通(大切通)

 中世、鎌倉幕府ができたころ、当時の文書には「六浦津(ムツラノツ)」と書かれている。船の拠点となるミナトは「津」と呼ばれるのが通例であった。また、「六浦」も現在の地名より広域だった。

 外海に面して良港のなかった鎌倉の外港として、今の東京湾にあり波がおだやかな六浦津は無くてはならぬ存在だった。六浦津と鎌倉を結ぶ朝夷奈切通は、和田義盛の三男朝夷奈三郎義秀が一夜で切り開いたという伝説からこの名がついた。和田一族滅亡後、六浦津が扱う物資や年貢米が増えるのにともない、鎌倉幕府は一二四一年、朝夷奈切通を開削した。執権北条泰時は自ら現場を指揮し励ましたという。この道が開かれると、東京湾内や北からの物資はすべて六浦から鎌倉に入り、しかも房総の大族千葉氏とともに三浦氏を牽制するのに非常に有利になった。

 六浦津には中国からの貿易船も出入りした。「三艘(さんぞう)」の地名は唐船三艘に由来するといわれている。伝来品は朝夷奈切通を経て鎌倉へと運ばれた。

 また、かつての六浦は生活必需品である塩の産地であり、六浦の塩売りがこの峠を越えて鎌倉へ商いに出るとき、十二所の光触寺にある塩嘗め地蔵にお初穂の塩を供えたといわれている。朝夷奈切通を通る六浦道は「塩の道」でもあった。
 

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