40周年を迎えた横浜マーチャンダイジングセンターの理事長を務める 鈴木 信晴さん 中区在住 68歳
時代に合わせ変化を
○…幸浦周辺の卸売企業など84社から成る協同組合横浜マーチャンダイジングセンターの理事長を2013年5月から務める。インターネットの普及に伴う直接取引の増加、大型ショッピングセンターの台頭――。ここ数十年で流通環境は大きく変化した。「時代に合わせて生まれ変わらないと」と危機感をつのらせる。「各社の取り組みもさることながら、組合事業として連携して時代や課題に対応していきたい」と話す。
○…戦後の中区元町で卵問屋の長男として育つ。「英語や外国文化を学ぶことが会社の発展にもつながるのでは」という父親の考えのもと、小学校から山手町のインターナショナルスクールへ。様々な人種の児童・生徒が集う自由な校風の中、異文化への興味と教養を培った。「人生のプラスになった時間だった」と振り返る。学生時代は自由奔放。ある時、英会話講師のアルバイト先で、生徒の大手レコード会社社員に英文和訳を頼まれた。その後、会社から会いたいと請われ社員に。得意の英語を生かした仕事で活躍するも「アメリカにいきたい」と退社。音楽関係や輸入品の仕事をしながら、海外を渡り歩いた。
○…家業に戻ったのは30歳。帰国時、父親に「お前は卵屋には向いていない。元町でレストランをやりなさい」と命じられた。「雑学が生きるレストランなら、今までの経験も生かせるのでは」と納得。「ものまねじゃない横浜らしい和魂洋才のレストラン」を目指し、「霧笛楼」が誕生した。30歳前後の若手スタッフとの、ゼロからの出発だった。
○…経営する「鈴音」は14年、100周年を迎えた。「人がまちを育て、街が人を育てる。うちは横浜があったから育った会社」。祖父や父親から学んだことが今に生きていると感謝する。息子も30歳を超え、同社に入社した。「時代は読めないが、会社のアイデンティティーである『横浜らしさ』を持ちながら次代につなげたい」とほほ笑んだ。