金沢区制70周年記念連載 「地元の歴史 振り返る」第7回 釜利谷に伝わる畠山重忠 文/NPO法人横濱金澤シティガイド協会本コラムでは2018年に金沢区が区制70周年を迎えるにあたり、シティガイド協会の協力を得て、地元の歴史を振り返る
畠山重忠は平安末期から鎌倉初期の武将で、源頼朝の平家追討や奥州征伐に功績があった。重忠は一の谷で愛馬を背負ったり、鎌倉の永福寺(廃寺)建設時、大石を一人で担いだ怪力だったが、静御前が鶴岡八幡宮で舞った際、銅拍子をあわせたという面もあり関東武士の模範であった。
畠山重忠の妻は北条時政の娘(政子の妹)で、嫡男に六郎重保がいた。この重保と時政の後妻牧の方の娘婿・平賀朝雅との口論から、後日重保は由比ガ浜で北条氏に殺され、また重忠も二俣川で北条義時に討たれた。
重忠は生前、鎌倉宮付近に東光寺を創建していたが、現在釜利谷白山道に移り白山東光禅寺になっている。
釜利谷には鉄を製錬する「たたら」跡や製錬した時に出るカスの錆びて固まった「カナクソ」が、宮川の小川アメニティ沿いや白山道近くの畑のあちこちで発見されている。畠山重忠は秩父の金沢村から多くの鍛冶匠を連れてきたが、金沢の地名も一緒に持って来たとの説もある。
また東光禅寺には墓(五輪塔)や重忠の念侍仏(薬師如来)、重忠愛用の馬具などがある。近くに首塚もあった。
一方、重保に関しては六郎ケ谷の地名や六郎橋跡があり、六郎ケ谷には重保の五輪塔がある。
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