金沢区制70周年記念連載 「地元の歴史 振り返る」第14回 黒船ペリー来航、小柴沖に 文/NPO法人横濱金澤シティガイド協会本コラムでは2018年に金沢区が区制70周年を迎えるにあたり、シティガイド協会の協力を得て、地元の歴史を振り返る
「泰平のねむりをさますじょうきせんたった四はいで夜もねむれず」は黒船来航で流行った狂歌である。高級な緑茶の上喜撰(じょうきせん)と黒船の蒸気船を掛け合わせ、幕府の慌てぶりを揶揄(やゆ)したものである。
その黒船の主であるアメリカ合衆国東インド艦隊司令長官マシュー・ペリーは、日本に開国を求める大統領フィルモアの親書を携えて浦賀に投錨(とうびょう)したのは嘉永六(一八五三)年六月三日の夕方であった。率いる四隻の黒船は、「サスケハナ」「ミシシッピ」の蒸気船2隻と「プリマス」「サラトガ」の帆船2隻である。
ペリーは、親書の回答を待つ間、江戸湾の測量のため艦隊を観音崎、猿島を超えて小柴沖に進み碇泊した。
小柴沖から見る風景の美しさに驚き、この地をアメリカン・アンカレッジと命名。また猿島はペリー島、夏島はウェブスター島と名付けた。翌年の日米和親条約を締結した再来航時にもこの小柴沖に碇泊した。小柴は、かつては丘陵に囲まれ鎌倉時代から続くと言われた漁村で、その沖合を小柴沖と呼んだ。
来年金沢区は、区制70周年を迎えるが、ペリー来航を記念して設置されたアメリカン・アンカレッジの記念碑は、金沢区制60周年・横浜開港150周年の記念の事業として小柴沖を臨む八景島にある。
■訂正…前回13回の本コラムに誤りがありました。正しくは「藩士の末裔である角田武夫氏」です。
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