金沢区制70周年記念連載 「地元の歴史 振り返る」第16回 人々を魅了した別荘地・富岡 文/NPO法人横濱金澤シティガイド協会本コラムでは2018年に金沢区が区制70周年を迎えるにあたり、シティガイド協会の協力を得て、地元の歴史を振り返る
横浜開港に伴い、明治7年(一八七四)中村橋〜八幡橋間の運河開削工事が完成し、横浜港から一気に根岸湾に出て富岡、金沢に至る舟運が完成する。これにより明治10年(一八七七)から20年頃にかけて富岡に、伊藤博文が仮住まいをしていた隣接地に井上馨が別荘を構え、三条実美、松方正義、大鳥圭介、田中不二麿など明治の元勲と呼ばれた人たちが競って別荘を建てた。夏は富岡で閣議が開けたという話もうなずける。
のどかな入江と閑静で風光明媚な富岡は一躍、活況を呈する。三条実美は明治21年(一八八八)、クツモの浜に別荘を建て富岡海荘と名付けた。富岡の自然を愛した実美はこの別荘を中心に本牧から観音崎にかけての海岸線の風景を明治22年に画かせたのが富岡海荘図巻(横浜開港資料館所蔵)である。今は失われたかつての美しかった海岸線をこの図巻でしのぶことができる。
しかし鉄道の開通によりこうした別荘は、交通至便な鎌倉逗子湘南方面に移っていくことになる。大正時代には文人の方々が別荘を構えた。日本画の川合玉堂、直木賞にその名を残す直木三十五も富岡に滞在した。
人々を魅了した美しい海岸線も昭和40年(一九六五)から始まった横浜市六大事業の一環として金沢地先埋立工事によりその姿は永久に失われることになる。
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