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中区・西区・南区 コラム

公開日:2020.07.30

本牧 気まぐれ歴史散歩 35
祝100周年!大鳥小学校と山元小学校さまざまな苦難も乗り越え

  • 復興した大鳥小学校1F平面図(『横浜震災復興小学校の記録』から)

 大正10(1921)年、開校の大鳥小学校・山元小学校は、今年で100年目を迎えます。大正デモクラシーの中、子どもの教育向上が見直され、大正初期には当時の横浜市域の小学校は31校となり、就学率も100%近くに向上しました。しかし、1クラスの生徒数は60人を超えたため授業は午前・午後の2部体制に。そうした中、大正10年に5校の小学校が市内に新設されました。その内の2校が大鳥小・山元小です。



 そのわずか2年後に発生した関東大震災で、横浜市内の全部の小学校は被災しました。しかし、その震災の混乱期の中、9月14日に横浜市議会が起草した政府への復興意見書には「学校の早期復旧」も記され、子どもの居場所・教育の継続が求められました。横浜市では教育現場の立て直しが8つの震災復興最優先課題の1つとなったのです。



 そうして「復興小学校」と呼ばれた横浜での学校の再整備は大正末期から始まり、鉄筋コンクリート造・特別教室・体育館・スロープなどの設備もこのときから整備されました。また、同時に地域で学校を支える取り組みも盛んになっていきました。その後、学校は戦災にも見舞われましたが、横浜市や地域が学校の復興に尽力し運営を支えました。この100年は行政・地域が一体となって教育を支えた100年でもあると感じます。次回は、大鳥小学校から山頂公園へと登っていきたいと思います。



(文・横浜市八聖殿館長 相澤竜次)

 

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