本牧 気まぐれ歴史散歩 37 大谷嘉兵衛 日本茶輸出を支え茶聖と呼ばれた人
横浜が開港場となったことで、横浜は国内から海外へ輸出する品々の集積地になりました。横浜から欧米へ最も多く輸出されたものは生糸・絹製品でしたが、日本茶は2品目の重要な輸出品でした。
欧米人が茶を楽しむようになったのは17世紀初頭にオランダの東インド会社が、平戸の日本茶とマカオの中国茶を輸入してからと言われています。インドやスリランカで茶の栽培が盛んになるのは19世紀後半、横浜開港後のことです。日本が鎖国している間も長崎から日本茶が輸出され、欧米で取引されていたようです。
横浜が開港すると、伊勢国飯高郡谷野村(現三重県松阪市)に生まれた大谷嘉兵衛は、明治元(1868)年に19歳で来浜し、外国人商社で国内での茶の買い付けに従事しました。欧米各国も横浜で積極的に茶を買い求めたことから、商社に勤める傍ら、自らも元浜町に製茶売込商を開業しました。茶の品質向上や製茶業の発展に尽力した嘉兵衛は、製茶業界の第一人者となり、茶聖(ちゃせい)と称されました。横浜市会議長・横浜商業会議所会頭(現横浜商工会議所)等を歴任し横浜の発展にも貢献しました。
原富太郎が中心となってまとめた大谷嘉兵衛翁伝(国立国会図書館蔵)や、大谷家の菩提寺・本牧の和田山にある天徳寺に建っている大谷嘉兵衛翁碑に、嘉兵衛の功績が記されています。
次回は天徳寺から本牧通りを渡って十二天の方へ向かっていきたいと思います。(文・横浜市八聖殿館長 相澤竜次)
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