本牧 気まぐれ歴史散歩 47 『海水浴で健康増進間門小学校』
海水に浸かって身体を療養する習慣は「潮湯治(しおとうじ)」と呼ばれ、日本でも古来より行われていました。鎌倉時代には、源実朝や鴨長明が海水に浸かって療養をした記録もあります。「海水浴」という言葉が生まれたのは明治期以降のことで、当初は西洋医学の療養方法の1つとして兵士の脚気治療で採用されたときと言われています。
しかし、明治初期の本牧では、早くも風光明媚な海岸でバーベキューやヨット遊びを楽しむ外国人の姿もあったようで、海水浴は医療目的ばかりでなく、日本人にも海で楽しく過ごすレジャーの一環として受け入れられていったようです。
間門小学校は昭和4年(1929年)に開校しました。同校には、地域の子どもたちのための普通学級とともに、身体が弱い児童を受け入れる臨海学級を併設しました。大正12年(1923年)の関東大震災で罹災した頃に生まれ、物資や住居も十分でない中で幼少期を過ごしたことで、健康状態が十分でない児童も多かった時代だったことから、森林に囲まれ、海水浴もできる環境で子どもたちの学びの場を提供することが目的でした。児童は横浜市内から募り、間門小で1年間、独自の授業カリキュラムで健康の回復と増進を図りました。初年度は146人の児童が在籍し、元気になって元の学校へ帰っていったそうです。
次回は根岸に向かって崖沿いを歩いていこうと思います。(文・横浜市八聖殿館長 相澤竜次)
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