本牧山頂公園の観山広場入口に7月21日、本牧ゆかりの日本画家・下村観山を顕彰する石碑が建立された。同広場は観山が居を構え、制作を行ったゆかりの地。その足跡を後世に残そうと本牧まちづくり会議が手掛けた。
観山は、東京美術学校(東京芸術大学の前身)や日本美術院の設立に関わった岡倉天心の指導のもとで才能を発揮、横山大観とともに日本美術の近代化の時代に中心的な役割を果たした。代表作の屏風絵『弱法師(よろぼし)』(重要文化財)は、三溪園の臥竜梅に着想を得て描いたといわれている。
観山は1873(明治6)年、和歌山生まれ。東京美術学校1回生で卒業後は同院の教壇に。三溪園の創設者である原三溪の招きで1913(大正2)年に本牧へ。観山広場のある本牧和田山にアトリエを構え、そこを制作の拠点とし、30(昭和5)年に57歳の若さで生涯を終えている。
(公財)三溪園保勝会事業課の吉川利一さんは「確かな技術で生み出された観山の作風は、原三溪の美術コレクションの幅を古美術から当代作家の作品にまで広げるきっかけとなった」と解説する。
歴史を後世に
広場の奥には日本美術院創立100周年を記念し98年に建てられた観山顕彰碑がある。設置にあたり高秀秀信市長や日本美術院の平山郁夫理事長らを顧問に、市美術振興財団の上野豊理事長が実行委員会会長を務めた。
歴史を知り、美術に親しんでもらいたいと建てられた顕彰碑。その思いを引き継ぎ、改めて観山の存在を周知しようと数年前に広場入口への石碑設置が企画された。
手掛けたのは、任意団体の本牧まちづくり会議。設置はコロナ禍により一年延期となった。23年前の顕彰碑設置当時も委員を務めた同団体の高橋敏昭代表は「多くの人たちに観山を知ってもらいたい。本牧の誇りにして欲しい」と話した。
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