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中区・西区・南区 コラム

公開日:2023.03.30

本牧 気まぐれ歴史散歩 65
『麒麟・大黒・恵比寿麦酒の誕生』

  • 山手居留地ビール工場付近(明治40年頃)=横浜開港資料館所蔵

 現在は舗装で遮られ、地下に浸み込む雨水量も減り、開発による水脈分断もあり、首都圏都心部の地下水は質も量も落ちましたが、かつての山手・本牧・根岸は、緑が豊かで地下に浸み込む雨水などが自然のミネラルを吸収し、美味しい地下水としてあちこちから湧き出る場所でした。その豊富で良質な地下水でビールを製造に挑戦した会社は、本牧から山手にかけていくつもあったようです。

 岩倉使節団が欧州でビールに注目したこと、横浜へ輸入されるビールの供給量も不安定だったことから、外国人は勿論のこと、日本人の中にも外国から技師を招いて国産ビール作りに挑戦したようです。明治5年(1872)頃から山手で始まった国産ビールの中でも、北方小学校から隣のキリン公園までの場所は麒麟麦酒の前身となる会社が誕生した場所として知られています。キリン公園には巨大な石碑も建てられています。「麒麟」という商標は明治21年(1888)から使われるようになりました。

 同じ頃、本牧では澁谷留五郎が現在のガス山公園あたりで「大黒」という商標のビール工場を操業していました。そして、その澁谷氏の「大黒」に対抗して、同じ七福神の名前で明治23年(1890)に東京で誕生したビールの商標が「恵比寿」です。

 次回は、山手の丘から本牧通りへ向かって下っていきたいと思います。(文・横浜市八聖殿館長 相澤竜次)

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