本牧 気まぐれ歴史散歩 77 『吾妻神社』 地元で大切にされている名社
江戸時代の観光ガイドブックともいわれている『江戸名所図会』には、吾妻神社が紹介されています。挿絵には吾妻神社の境内と、神社前を往来する人々の姿、背後には天神森(現在の三之谷交番あたり)と、現在は本牧山頂公園となっている尾根が描かれています。また、図会にはヤマトタケルと御神体に関する伝説も記されています。
明治時代になると、明治政府は明治4年(1871年)に近代社格制度を設け、その後、無社格とされていた神社を廃止して格付けが高い神社へ合祀する政策をとりました。これにより全国で多くの神社が廃止され、他の神社へ合祀されました。どの神社をどちらに合祀するのかで揉め合いになり、各地で合祀の反対運動も起きました。
本牧村の村社は本牧神社とされ、旧本牧本郷村内の6つの村にあった浅間社(間門村)や八王子社(牛込村)などは無社格となり、その後、本牧神社へ合祀されました。しかし、吾妻神社だけは本牧神社と同格の村社となり、各地で村社同士の合祀も行われる中、吾妻神社は合祀される話すら起きず、今も鎮座しています。そのような類例は全国でも少なく、理由も定かではありませんが、本牧の漁業関係者、地域の篤い信仰により護られたものかもしれません。境内の玉垣に刻まれた美しい朱色の名前が、今もとても力強く見えます。
吾妻神社から、本牧元町の路地に入っていこうと思います。(文・横浜市八聖殿館長 相澤竜次)
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