本牧 気まぐれ歴史散歩 【24】 伊藤左千夫と酪農
正岡子規の門下・伊藤左千夫は、子規亡きあとも門下生をまとめ、のちにアララギ派と呼ばれる近代短歌の礎を築いた人です。昭和30(1955)年の木下恵介監督作品「野菊の如き君なりき」の原作となった小説「野菊の墓」の作者としても知られています。伊藤は当初から文壇を目指していたのではなく、現在は錦糸町駅前となった場所で牛を飼い、牛乳販売業を営みながら、37歳のとき3歳下の子規の門下に入った人です。
牛乳は飛鳥時代に伝来し、奈良・平安時代には牛乳を煮詰めた「蘇」が薬効や健康食品として朝廷へ献上されていました。しかし、日常生活で日本人が乳製品を摂るようになったのは横浜開港後のことで、居留地で暮らす外国人の食生活を見て、外国人から酪農技術を学んだ日本人達が本牧・山手・根岸に多くの牧場を作り、乳製品を供給してからのことです。伊藤も明治19(1886)年、22歳の時、酪農技術や牧場経営を学ぶため上野町の菅生牧場で働き、3年後に独立しました。アララギ派の写実的で生活感あふれる歌風も、伊藤が上野町で過ごした日々があったからこそ、子規から受け継がれたのかもしれません。
酪農技術はそのように横浜経由で全国へと広がり、乳製品が日常生活品になっていきました。神奈川県も昭和30年まで北海道に次ぐ日本第2位の牛乳生産量を誇っていました。次回もこのまま引き続き、山手の丘の上を歩いていこうと思います。(文・横浜市八聖殿館長 相澤竜次)
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