野本紀子宮前区長が定年に伴い本日3月31日付けで退任する。そこで野本区長にインタビューを行った。2014年から区長に就任、3年間にわたり宮前区政推進のかじ取りを担ってきた野本区長。在任中の思い出などを振り返ってもらった。
(聞き手/宮前区編集長・山田洋平)
誰にも負けない「宮前大好き人間」
――野本区長お疲れ様でした。在任中の仕事や宮前区政を振り返ってみていかがですか。
「ありがとうございます。38年間川崎市にお世話になり、最初は交通局の配属でした。そのあと、中原区役所で税に携わり、報道担当や交流推進課などいろいろな所を経験させていただきました。宮前区長の仕事をいただいて、本当に嬉しく、役所人生の中で、最高に幸せだったと思っています。なってみてこれまでやってきた仕事との関連が「すっ」とつながって、もしかしたら、この仕事をさせていただくために、これまで歩いてきたのかもしれないと感じました。その象徴的な出来事が在任中に影向寺遺跡を含む橘樹官衙遺跡群が国史跡に指定されたことです。教育委員会の生涯学習部で文化財の仕事に携わっていたことがあり、橘樹郡衙の遺跡は国にとっても貴重な遺跡で後世に残していく価値があるものなのでは?と文化庁に行き、貴重な遺跡であると認めていただきました。その他にもセレサモスやまじわーる宮前のオープン、飛森谷戸の自然を守る会、平瀬川流域協議会、影向寺重要文化財・史跡保存会、菅生中学校区地域教育会議の受賞、宮前平中学校水泳部や陸上部、少年野球の有馬フレンズや富士見台ウルフの活躍など。いずれも区民の皆様が長い時間をかけて培ってきたものに光があたる瞬間に立ち会えたことは、この上ない喜びでした」
――歴史好きなのはそんな背景があったんですね。区政推進にあたり心がけていたことはありますか。
「区長としての最初の地域行事は、宮崎台ふる里さくら祭りでした。美しい桜のまちに着任できた事を心から嬉しく思ったことを覚えています。さぎ沼さくらまつりも平瀬川さくら祭りも、全て地域の方々が主催して地域の方々が集って楽しむ手づくりのお祭りだということに、とても驚くとともに、主催者も参加者も素敵な笑顔で過ごしていて、みんな『このまちが大好き』ということを肌で感じました。若い頃の自治大学校の研修で『自治とは郷土愛である』と教えていただきました。区民の皆様と同じようにこのまちを愛し、このまちの未来のために一緒に働こうと思ってやってきました。至らない点も多かったと思いますが、誰にも負けないくらいの『宮前大好き人間』になりました」
――そんな「宮前大好き人間」の区内お気に入りスポットを教えてください。
「宮前区に転入届を出すと区内地図『みやまえガイドマップ』を受け取りますが、ついでに地域振興課で『宮前歴史ガイド』をもらうことをお勧めします。区の東端は先ほどの橘樹官衙遺跡群がありますが、西端の潮見台遺跡や鷲ヶ峰遺跡など、区内には3万年前の石器時代から古代、現代に至るまで、人が暮らしてきた痕跡がずっと残っています。散歩中にほんの少し目を凝らすだけで、いろいろな時代にタイムスリップできます。先人達から受け継いだ宝を大切にして、また次の代に譲り渡していきたいですね」
――区内には歴史を感じるスポットがたくさんあるんですね。
「そうなんです。宮前区内には山ほどあります。知らないのはもったいない。古代が見えると、まちが立体的に見えてくるんです。このまちは楽しくて、楽しくて」
――区長在任中の宮前区民との思い出はありますか。
「このテーマはどんなに紙面のスペースがあっても語りつくせません。様々なイベントや地域活動、自治会や地区社協、民生委員、保護司、交通安全、防犯、美化、消防団、スポーツ推進、子ども関連など、この地域社会のあらゆることは多くの方が惜しみなく力と心を注いで下さっているお蔭で成り立っています。私はここでお手本にしたい方々に沢山出会いました。それぞれ活動分野やバックグラウンドは違いますが、皆さんに共通していたのは、まちを自分たちで良くしたいという心と次の世代を思いやる心、そして寛容で温かいお人柄ということです。素敵なまちで素敵な人たちと考えや活動を共有できたことは、本当に幸せでした」
――定年後の身の振り方は決まっていますか。
「これという仕事は決めていません。このまちに来て学んだことがたくさんあるので、個人として、地域、世の中のために活動したいと考えています。これまで組織の中で仕事をさせていただいてありがたかった。今度は初めの一歩から地域デビューですね」
――最後に区民へメッセージをお願いします。
「私の大好きな区民の皆様へ。卒業しても、この美しくて、温かいまちの方たちのお幸せを、いつも願っています。ありがとう」
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