7月6日、逗子文化プラザでコンサートを行うバンドネオン奏者 平田 耕治さん 逗子開成中学校・高等学校出身 30歳
力与えられる演奏を
○…一見アコーディオンのようだが、蛇腹の両脇には鍵盤の替わりに無数のボタンが並ぶ。情熱的で、哀愁を帯びた切ない音色。アルゼンチンタンゴには欠かせない、バンドネオンだ。この楽器に魅せられた少年は今、世界を股にかけるプロの奏者として、ステージに立つ。青春時代を過ごした逗子での2度目の凱旋公演を前に「パワーを伝えたい。聴いてくれる人が元気になるように」と意気込む。
○…出会いは13歳の時。通っていた個人塾の一角にあったバンドネオンにふと目がとまった。ピアノとは違い、音階の配列がばらばらで素人が弾くのは容易ではないが「地図みたいに音を探しながら」演奏方法を覚え、わずか1年後には独学で曲が演奏できるように。歌声のように表現豊かに響く、バンドネオンの虜になった。一度始めたことはとことん突き詰める性格も手伝って「いつかプロの奏者になりたい」と思い描くのにそう時間はかからなかった。16歳のときには「本場」を求め、単身でアルゼンチンへ。そこでの経験が今も脳裏に刻まれている。
○…大志を抱いた少年が飛び込んだ先はタンゴ界の巨匠として名を馳せた故カルロス・ラサリ氏のもと。「無口で真面目。日本の職人のような人だった。本当のマエストロ。いい先生に恵まれた」と懐かしむ。手取り足取り教わった記憶はない。「見て、盗め」。師の言葉通りにタンゴの真髄を肌で吸収し続けた。その経験が、日本人では初のブエノスアイレス市立楽団への入学、共和国代表メンバーとしてポルトガルの音楽祭への参加など華々しい経歴の下支えにもなっている。
○…「学生の時は気付かなかったけど、お洒落で海が近くていい街ですよね」。逗子海岸に視線を向けながら呟いた。6年間通い続けた場所でステージに立つことには感慨深さもある。友人や恩師も暮すまち。「命を燃やして、渾身の演奏を届けたい」。そんな思いを乗せた音色が、舞台に響く。
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