「大変なことが起こった」。シンガーソングライターの木村真紀さんは、緑区にある自宅のテレビで生々しい大津波の映像を呆然と見つめていた。
予定されていたコンサートなどの仕事はすべてキャンセルになっていき、ぽっかりとできた時間。「何ができるだろう」と考えた。「私には歌しかない」と自然にピアノへと向かっていた。
そして、できた『祈り』という曲。「悲しみに暮れる人たちに希望の光となれば」。そんな思いを込めた曲に心打たれた人がいた。無償で出演した宮城県の中学校で行われた合唱祭。曲が終わると、多くの地域住民が駆け寄ってきた。「素敵な歌をありがとう。また、来てね」。そのように言われた日から東北へ何十回と通っているという。
打ち明けてくれた言葉
そんな日々で出会った男の子は、今年1月に成人の日を迎えた。「お祝いを言いに行こう」と駆け付けた。東日本大震災の時、彼は、自宅で大津波に襲われていた。目の前で母親も流されていったという。だが、彼が、そのことを口に出せたのは最近のことだ。「仲良くなった私たちにも長い間、打ち明けてくれなかった。やっと、言葉に出してくれるようになった。少しずつ、”心の復興”の芽が育っていると思う」と木村さんは話した。
「でもね」と続ける。「まだ、前を向いて歩こうと思えない人だって、たくさんいる。心の復興はこれからだと思う」と語気を強めた。
「歌でずっと寄り添っていたい」と木村さん。東日本大震災から8年が経つ。長年の間、東北へ向かう理由を木村さんに聞くと、「会いたい仲間がいるから。会いに行かずにはいられないんですよね。私のコンサートを待っている人もいるから」と微笑んだ。 (連載終わり)
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