東日本大震災の発生前から国内外の支援を目的としたチャリティショップ「WEショップ・みどり(中山町218)」の店舗運営に関わっていた五十嵐敦子さん。
震災発生直後から「東北の知り合いのために衣類などを送りたい」と店舗を訪れる人が急増したという。「区内のこれだけ多くの人が東北のために『何ができるか』を模索し、行動し始めている。私たちもすぐに行動しなくてはいけないと思った」と当時を振り返った。
震災直後から店頭に募金箱を設置し、寄付を呼びかけ始めた。その後、長年にわたり、被災地で復興支援に携わる団体への寄付を続けている。
初めて被災地を訪れたのは、2015年の3月。「震災から4年。がれきは取り払われ、津波で何もなくなった地面だけが広がっていた。小高い丘には、震災で亡くなった人の名前が彫られた慰霊碑が立っていた。そこには、多くの花が手向けられており、『忘れない』という強いメッセージをひしひしと感じた」と話した。
人のまばらな祭り
2017年の10月には、福島県の浪江町も訪れた。東京電力福島第一原子力発電所の事故に伴い、多くの町民が避難、一夜にして住む家を奪われ、生活基盤を失った浪江町。訪問の半年前に一部地域を除き避難指示が解除されていた。
現地で印象に残っているのは、消防団員の実話を基に作成した紙芝居。津波の発生した夜、がれきの下から助けを求める声に、夜明けを待って救助に戻ると約束。だが、翌日の原発事故で立ち入り禁止となり、命を置き去りにして避難せざるを得なかった無念さが伝えられた。「記憶は簡単には消えない。今も、無念さに押しつぶされそうで、苦んでいる人がいるということを知った」
また、ちょうど訪れた日は浪江町のお祭りの日だった。役所の前には“おかえりなさい”の横断幕。だが、帰ってきた町民は少なく、人はまばらだった。「震災前の町の姿にはほど遠い。この時、『震災は、まだ、終わっていない』と感じた」と語気を強める。「震災から8年。風化も進むからこそ、発信を続けたい。継続的な支援が求められている。やることはたくさんある」
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