川崎市連合遺族会の会長として戦争の悲惨さを伝える 安齊 久男さん 西野川在住 84歳
「慈愛」胸に平和を後世へ
○…忘れもしない野川小学校2年生の時だ。「セブ島ニ於テ戦死セラレ候」と書かれた、父の死亡告知書が届いた。ポツポツと戦地から帰ってくる元兵士の中に、それでもなお父の姿を探した。届いた骨壺は軽かったが、中は確認しなかった。享年37。「負け戦と分かっていても、いかなくてはならなかったんだろう」と忍ぶ父との思い出は、自転車に乗せられて病院へ行ったくらいしか残っていない。
○…五百年、代々野川の谷戸に居を構える農家。父が亡くなり祖父に育てられた。早くに結婚し、高度成長期に田園都市線や第三京浜が通り、一気に変わりゆく野川を見守ってきた。遺族会は県副会長も務め、県代表としてフィリピンで天皇皇后をお迎えしたこともある。保護司や町会長、ライオンズクラブ会長なども歴任。褒章の話もあったが、多忙な毎日で空けた家を、畑仕事や不動産の管理もこなし支えてくれた妻が体調を崩し、看病のため辞退。昨年3月に亡くなる半年前には、娘と妻の車いすを押しながら佐渡ヶ島を巡った。「毎年のように旅行に行ったなあ」と60年寄り添った思いを巡らせ目を細める。
○…遺族会は近隣の先輩の影響で入会。ほとんどが戦死者のきょうだいなどで、遺児として、また「他の農家よりは時間があったから」と話のある役はほぼ引き受けた。遺族会会長を務め13年、毎年慰霊式を執り行う。昨年のコロナ下でも「慰霊の灯を消せない」と、市仏教会などの協力を得て縮小開催し、英霊らの冥福を祈った。気にかかるのは会の高齢化。年に50人のペースで会員は減少し、他市では解散した団体も。次世代へつないでいこうと、青年部を立ち上げるなど策を打つ。「戦争の記憶を、後世に伝えていかなくては」
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4月26日
4月19日