川崎市相撲連盟の顧問を務める 櫻井定吉(さだきち)さん 昭和在住 88歳
双葉山に導かれたふんどし人生
○…市内のアマチュア相撲を統括する川崎市相撲連盟の重鎮として長年、会を支える。連盟の理事長として尽力した経験もあり、夏休みには希望者を募って相撲部屋での練習へ引率するなど、相撲教育にも力を注いだ。毎年5月に富士見公園相撲場で行われる「川崎市子ども相撲大会」は今年で59回目。自身は第1回目の発起メンバーで、土俵づくりにも携わった。思い入れのある場所での同大会には今でも毎年出向き、子ども達の勇姿を見守る。「あの土俵から巣立って大学の相撲部で活躍した子がたくさんいるんですよ」。
○…相撲に興味を持ったのは小学3年生のとき。自宅近くにある会社に、当時の人気力士だった双葉山と鏡岩が来訪したと聞きつけ向かうと、双葉山から「おいでおいで」と手招きをされた。「相撲の取り組みの真似事で双葉山の大きな身体を夢中で押しました」と生き生きと語る。その後、14歳のときに市立川崎高等小学校の相撲部に入り、相撲人生がスタートした。
○…16歳で入社したヂーゼル自動車工業株式会社(現・いすゞ自動車株式会社)でも相撲部に入部し、稽古と仕事に汗を流した。当時は実業団の相撲部が競う大会が盛んで、団体戦や個人戦で多くの勝利を収めた。47、48年の県大会青年の部では2年連続優勝。47年から50年までは4年連続で国体への出場を果たした。30歳で競技を退いてからは、監督として教え子を全国大会の勝利へ導いた。
○…夫人と次男との3人暮らし。20歳のときに自ら志願して入隊した日本軍から復員後、23歳で結婚。その頃は会社務めをしながら半農半漁の生活を送り、家の田畑、夫人の実家の家業のノリ付け作業、そして相撲の稽古と身体が休まることはなかった。「ずっと身体を使っていたおかげで今もこんなに元気」とにっこり。「相撲に関わって70年以上。まだまだアドバイスしながら、川崎の相撲がもっと盛り上がるようにしたいね」。
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5月3日
4月26日