震災翌朝、調布飛行場から被災地に向け飛び立った。長年、アフリカやヒマラヤなど空から”地球の力・ダイナミックなエネルギー”を撮り続けて、その迫力を追ってきた。しかし、今回は違った。シャッターを押し続け、寡黙になっていった。町が無くなり、海が燃えていた。
「起きていることを伝えるため」。真っ先に被災地に飛んだ理由を話す。空撮を終えすぐにバイクで被災地に向かった。鳥の目から虫の目に変わり、被災地の匂い、人の息遣いを肌で感じた。子どもを探す母親の必死の形相にシャッターを切れないこともあった。
バイクから車に乗り換えるため一度町田に戻り、被災者のために水やガソリン、食料など支援物資を満載にしてもう一度向かった。取材を続けながら、物資が届かない避難所に出向き、支援物資を届けた。「できることはわずかだったが、とにかく行動して助ける」。シャッターを押すだけでなく、被災した様ざまな人たちとも言葉を交わした。
震災後、「日本人は強いな」と思うとともに、以前から感じていた違和感が無くなった。電気や水道もない国や危険な場所から帰ってくると成田空港で感じる「タイムマシーンに乗って違う世界に来た気分」をいつも感じていた。日本に危機感がなかったからだ。「人生を約束された地盤の上で生活していると思っている日本に違和感があった」。今回はどの国でも感じる危機感を日本で共有することができた。
被災地では被災者はもちろん、ボランティア、自衛隊の人たちも心の癒しを求めていることを知った。今度は愛犬を連れて被災地を回り、子どもたちと一緒に遊んだ。ボランティアも自衛隊もその様子をうれしそうに見ていた。
6月末、写真集「THE DAYS AFTER東日本大震災の記憶」(飛鳥新社)を出版した。様ざまな写真家の作品が載る新聞社や出版社のものではなく、個人の目が捉えた写真集だ。一人の人間が体験した大震災を追体験できる。写真集には破壊から再生が描かれている。5年、10年後の復興の様子も撮り続けたい。写真集の最後には「TоBe Cоntinued」と記してある。
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