鶴川の地下に水脈が―。取材先に向かうため車で芝溝街道を走っていると、井の花バス停近くの道沿いに水がジャージャー流れている井戸を発見。いつからあるのだろう?探ってみよう。
鶴川市民センター、鶴川地区協議会で調査をし、自由民権資料館に行きついた。そこでは過去に鶴川の井戸についての企画展などが行われており、担当していた元学芸員の杉山弘さんに話を聞くことができた。
野津田や小野路、大蔵町、能ヶ谷、真光寺、岡上(川崎市)など鶴川の広いエリアで自噴する井戸が多数存在する。多くは農業用水や、庭用や洗濯などの生活用水に使われており、今でも現役のものや災害用に整備されているものもある。
井戸職人の日記
現在は引退しているが、能ヶ谷に神蔵喜代勝さん(78)という井戸職人がおり、神蔵さんの元には父親の喜久治さんが1920年〜1965年の間にしたためた4冊の日記が残されているという。井戸作り45年間の記録とともに、当時の町の様子などが書かれている。その作業記録的な日記を読み解き、刊行しようとする有志からなる「井戸の会」が存在する。杉山さんもメンバーの一人だ。
江戸時代から井戸掘りを生業とし「掘り抜き」という手法で代々井戸を掘ってきた神蔵家。高さ5、6メートルのやぐらを立て、地下深く掘り進む竹ひごを直径2mの車で巻き取って土を回収する。竹のしなりを利用し、人力だけで数百メートルを掘り、水脈を探り当てる技術で千葉県(上総地方)から全国に広まった「上総掘り」と呼ばれている手法に近い。取材のきっかけとなった自噴井は違ったが、神蔵さんが「掘り抜き」で掘った井戸は鶴川に無数に残っている。
日記には日々の井戸作りの作業とともに、戦争や関東大震災の生々しい記述なども残されており、当時の町の歴史が読み解ける貴重な資料となっている。「伝統技術の伝承としても世に広める価値がある」と杉山さん。解読を始めてちょうど10年、来年度には一冊の本として出版される。
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