「長男だから、実家に戻りたい―」。鈴木優輔さん24歳。福島原発事故の影響で実家を離れ、今、町田市内で働いている。
福島第一原子力発電所から半径10Km圏内にある福島県大熊町で被災した。仕事中で、低地には津波も押し寄せた。同原発から15Km圏内の実家がある楢葉町に戻ることもできず、すぐに隣接する常盤町(田村市)に避難させられたが、「原発が危ない」と翌12日には会津若松の避難所に移動を余儀なくされた。
家族は両親と祖父母、妹3人で8人の大所帯。地元の化学工場に勤め、将来の方向性も少しずつ決まり始めていた。
避難所では、震災直後ということもあり、物は不足し、仕切りもなく体育館の中にはプライバシーはなかった。「妹の1歳10か月になる姪っ子が夜になると泣き始め、その度に妹は外や車の中で過ごした」という。
「仕事を探さなくては」。会津若松で就職活動をしたが、まったく見つからず、「東京に行って探さないとダメだ」と祖父母の親族を頼りに父親と祖父母の4人で町田市に来たのは3月下旬だった。しかし、トラック運転手の父親と一緒にハローワークに行っても思うような職は見つからなかった。「僕はまだ被災した会社の社員なので、そこを退職しないと正社員としての働き場所はなかった」。働いていた会社からは電話で休職扱いになると言われたが、正式な書類もなく、現時点では働いている人となってしまっている。
しかし、どんな状況でも仕事を探さないとと思い、引っ越してきた近所の目ぼしい会社を捜し歩いたがなかなか見つからなかった。4月中旬、いつもの様に歩いて探していたら、地元の駐在さんに声を掛けられた。「キョロキョロしながら歩いていたから、怪しかったのでしょうね」と笑うが、事情を聞いた駐在さんが鶴川の鈴木瓦店を紹介してくれ、志村容一社長も快諾し、14日から働くことができた。
「快く受け入れてくれた志村社長にはとっても感謝している。ただ、僕は長男なので実家に戻って家を継ぎたい。前の会社も現地で再興するのは無理のようで、他県に移ると言われている。将来、どうなってしまうのか本当に不安だ」と切実に話す。
鈴木社長は、「被災者と企業のマッチングは上手く情報を共有できていない。また助成金などがしっかりしていれば、もう一人雇うことができる。国には雇用の問題もしっかり取り組んでほしい」という。
家族も仲間も離れ離れになり、彼女も福島に残してきたまま。「今を頑張らなければ」と力強くいう。
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