「もはや戦後ではない」。終戦から10年経った1956年の経済白書に載った一文だ。右肩上がりで進む経済復興に、戦争の爪痕は日に日に薄れていた75(昭和50)年、冷や水を浴びせられるような出来事が起きた。
翌春の開校をめざし、基礎工事を進めていた引地台中学校の建設現場から8月27日、米軍の機関銃弾が掘り出されたのだ。引地台中学校と引地台公園一帯は、旧米軍イーストキャンプ跡地、約10ヘクタールを整備して完成された。
当時の「広報やまと」によると、『地下約14〜16mから、米軍の機関銃弾1万6046発、発煙手りゅう弾105発、その他160発、旧日本軍の模擬爆弾など56発が掘り出された。46(昭和21)年当時、駐留軍に勤務し、この銃弾の埋設作業に参加した人の証言によると、他にも数カ所に銃弾を埋めたということから、今回発見されたのはその一部とみられる。
市では証言者の確認を得て、残る銃弾類を自衛隊不発弾処理班の協力を得て、掘り起し工事に着手。市では山口芳雄助役(当時)を会長とする「大和市イーストキャンプ跡地銃弾処理対策委員会」を設け、9月27日から10月3日まで学校建設用地内の掘り起し調査が進められた』と記されている。
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