逗子市在住 テッド・Y・フルモトさん バンクーバー朝日軍の歴史 伝えたい 100年前 カナダに実在した知られざる日系人野球チームの足跡明かす著書出版
逗子市桜山在住のテッド・Y・フルモトさん(60)が、亡き父の念願を果たすために1冊の本を書き上げた−。父の名は、テディ・フルモト。約100年前、カナダ中の人々を熱狂させた伝説の日系人野球チーム『バンクーバー朝日軍』のエースピッチャーである。
差別のりこえ カナダの最強チームに
1900年代前半、鉄道と港湾の建設をきっかけに活況を増していたカナダ・バンクーバーには、深刻な貧困にあえぐ農山漁村から、1万人もの日本人が仕事を求めて海を渡ってきた。
家族や故郷を思い、希望を抱いて異国の地を踏んだものの、彼らを待ち受けていたのは激しい人種差別と、過酷な低賃金労働−。歯をくいしばり屈辱に耐えながらも、多くの日系移民は白人社会に心を閉ざし、独自のコミュニティの中で生活していたという。
そんな彼らに、大きな勇気を与えたのが1914年(大正3年)に結成された日系人アマチュア野球チーム『バンクーバー朝日軍』だった。
「英語は話せなくても野球ならできる。フェアプレーと圧倒的な強さで、差別と偏見に勝ってみせよう!」日系移民のあいだに広がる鬱屈とした感情を憂慮していた一人、宮崎松次郎(初代監督)は、運動能力が高く野球が好きな15歳前後の少年9人を選び抜いて、猛特訓を開始。少年たちはその期待と使命を自覚し、大人の強豪チームに次々と圧勝。白人までもが驚きと尊敬のまなざしを向ける、最強のチームへと成長する。
戦争の混乱で悲劇の解散
しかし−。朝日軍がパシフィック・ノースウェスト・リーグで5連覇を遂げた直後、日本軍がハワイの真珠湾を攻撃。カナダでは日系人すべてが「敵性国人」として市民権を剥奪され、全財産を没収された上で、収容所に送り込まれたのだ。チームも強制解散。メンバーは別れ別れとなってしまい、長い年月が流れていた。
フルモトさんは、朝日軍の足跡が日本で伝えられないまま忘れ去られつつあることを最期まで悔やみ、亡くなった父を思い、10年前に初めてカナダへ。生存している朝日軍のOBや家族と涙の面会を果たし、単なる過去の記憶としてではなく、今を生きる人たちへ希望を送るために、朝日軍の歴史をつづろうと決意した。
多忙な中で書き上げた今回の著作では、カナダの日系移民をとりまく歴史や、熱気あふれる試合の様子が、きめ細やかな筆致で描かれている。「対戦記録などはほとんど残っていませんでしたが、幼い頃に父が熱く語ってくれた朝日軍の話は、すべて私の胸に刻まれています。彼らの勇気、心の強さを、世界中の人たちに伝えていきたい」とフルモトさん。
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