亀岡八幡宮 歴史と人びと〈第11回〉 庚申塔について
亀岡(かめがおか)八幡宮は2019年4月、社殿の改築から100周年を迎えます。このコラムでは、氏子会の皆さんのご協力のもと、その歴史や関わる人々を紹介します。
かつて民衆から広く信仰を集めた庚申塔が境内にある。もとは鳥居の外側の路傍にあったが、昭和20年代末に行われた道路拡張工事で移された。
中国の道教に由来する禁忌で、庚申の夜に眠ると人身中の三尸(さんし)の虫が罪を上帝に告げるとも、命を縮めるともいわれた。仏家では帝釈天青面金剛を、神道では猿田彦を祀って一晩中起きている「庚申待」という風習が平安時代に伝わり、江戸時代に盛行した。
写真左から2・3番目が庚申塔で、小さい方が天保3年(1832年)建立の笹型塔。一面六臂の青面金剛像が合掌して立ち、下部中央に前向きの「聞かざる」、両側に「言わざる」「見ざる」が彫られている。隣の笠型塔は寛文11年(1671年)の建立。鎌倉で青面金剛像が彫られた最古の庚申塔は、鎌倉市坂ノ下の御霊神社にある。建立は延宝元年(1673年)で逗子が2年早い。
右端は馬頭観音塔。馬の守護神として江戸時代に広く信仰された。左端は堅牢地神塔は大地をつかさどる地天(地の神)をお祀りしたもので、天保3(1832年)の建立だ。いずれも人々の信仰心を今に伝えている。
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