町田市立博物館より【18】 お嬢さまたちのおハナやドレス 学芸員 矢島律子
ただいま開催中(5/8まで)の「常盤山文庫と町田市立博物館が語る―中国陶磁うつくし―」展の入口に当館の看板娘が立っています。漢時代の女性をかたどった、紀元前200年ごろの俑(よう)です。仕女(女性の召使い)を焼きもので作りお墓に納めたものです。俑といえば秦の始皇帝陵の兵馬俑が有名ですが、こうした仕女俑は主に皇后や妃、皇女といった高貴な女性の陵墓から発見されます。中国古代の人々は、あの世の生活はこの世とまったく同じと考えていたので、陵墓として巨大な地下宮殿を築き、トイレや穀物倉、宴会セット、カマドや食料、召使いまで全てを焼きもので作って納めました。それらは墓の主の豪奢な暮らしぶりを生き生きと伝えてくれます。漢の都、長安からは東園匠(とうえんしょう=官営の副葬品陶房跡)が発掘されていますが、優れた出来栄えの本作もそうした陶房で作られた「東園秘器」と考えられます。
弾力さえ感じる
この仕女は何よりも清新な写実性が見る人の目をひきつけます。手の組み方や少し脚を開いて立つ姿勢、まっすぐ前を見つめる顔つきは、静かで慎ましやかな漢時代の女性の理想像を写し取っていて、その柔らかな耳たぶからうなじの曲線、ゆるくまとめられた黒髪の豊かさは、彼女が花も恥らう若き女性であることを示しています。土であるのに、触れれば弾力さえ感じられそうに見えます。
当館の仕女俑は昭和の早いころに日本に運ばれてきたようです。類品は東京国立博物館など数点ありますが、そのなかでも特に美しい乙女といえます。
困難な修復
ただ、本当に惜しいことに、このお嬢さまはお鼻のてっぺんの色が剥げ落ちていて、灰色の下地が見えているのです。では、ちょっと色を塗って修理すればいいのではないか、と思うところですが、これが極めて難しい。2000年以上の歳月を経て、少し素地から浮きかけている胡粉(ごふん=白い顔料)と同じ風合いに仕上げることは不可能だし、なじませるために周辺にも手を加えざるを得ない。定着を図るために樹脂を塗らざるを得なくなって、結局、顔全体の雰囲気が変わってしまうのです。
変わる雰囲気
というのも、当館には同様の手法の唐時代8世紀の婦人俑があって、修理しようとして東京文化財研究所(東文研)に相談したことがありました。時々展示してきましたので御覧になったことがあるかもしれません。唐時代のいわゆる「楊貴妃」タイプの豊満な美人ですが、ドレスの裾の胡粉が数箇所落ちかかっていたのです。数ヶ月預けた後に引き取りに行った際に修復の先生から受けたアドバイスは「素晴らしい作品ですね。きちんと留めるには上から樹脂を塗布するのが良いが、それではまったく風合いが損なわれてしまって作品が台無しです。したがって剥落しそうな胡粉と素地の間に樹脂を注入してとりあえず落ちないように留めるのみにしました。今後、展示等を行う場合には、作品本体に触れないこと」とのことでした。この経験を踏まえて、現在展示中の漢のお嬢のお鼻もいじらないことにしています。
声なき悲鳴
そういえば、上述の美人俑については東文研のアドバイスに絶句したものです。立ち姿の美人俑はいわば垂直に伸びる棒のような土の塊で、足元は日本に運ばれてきた当初に誂えられた木製台にがっちりはめ込まれています。上の方だけ持って運ぶと台の重みで下半身からちぎれるかもしれない。重く不安定なので、作品に触れないでその台だけで移動させると、途中からぽっきり折れそうで怖い。何とか触れられそうな場所を探し、お腹と台を何人がかりかで持ち、そろ〜り、そろ〜りと箱から引き出し展示するという、声なき悲鳴を上げずにはいられない、難易度ウルトラQの作品です。
今回の漢のお嬢様も土の塊で大変重く、安定も悪く、2000年以上たった胡粉は浮き気味で、とても扱いが難しいのですが、毎朝展示室の扉を開けて「おはよう、可愛い子ちゃん」と声を掛けています。
【写真】加彩仕女=前漢(前2〜3世紀)、上半身のみ撮影、町田市立博物館蔵
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宮司の徒然 其の137町田天満宮 宮司 池田泉12月21日 |
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