『武州富岡史話』を執筆した慶珊寺19代目住職の 佐伯隆定(りゅうじょう)さん 富岡東在住 79歳
忘れえぬ富岡の記憶
○…「富岡には忘れてはいけない”悲劇”がある。記録に残さねばと思った」と、『武州富岡史話』を執筆した動機を語る。悲劇とは11歳の頃、太平洋戦争中に起きた富岡への空襲だ。無数の血痕と、死体が横たわるすさまじい光景。生まれ育った慶珊寺には、40体もの遺体が並んだ。「忘れてはいけない記憶だ」と再度、噛みしめるように繰り返す。1972年、同寺19代目住職となって最初に行った仕事は、「戦災供養塔」の建立だった。
○…多感な少年時代は富岡の自然にどっぷりつかった。「夏休みはふんどし一丁で、外を駆けずりまわっていた」と回想する。当時は同寺のすぐそばに海岸線があった。今でも鮮明に浮かぶ、大好きな景色だ。海岸線は現在埋め立てられ、工業団地となってしまった。「かつての景色を書物に残すこともまた、執筆の理由となりました」。約30年間かけて集めた多くの文献を参考にしつつも、あくまでも”地元住人”の視点を大切に、移りゆく富岡の景色と歴史を記した。
○…和歌山県の仏教系私立、高野山中学に入学した。その頃「歴史」に対する興味を深める。教師の話が面白く、のめり込んだという。日本史への見識を深めるため、早稲田大学に進学。さらに40年間、歴史教師として高校に勤務した。専攻外の世界史も、自ら学びながら教えた。「昨日学んだ歴史の知識が今日、生徒の役に立つという毎日。1年目は特に喜びを感じながら過ごしていた」と目を細める。
○…「長く生きればいろいろな思い出がある」と話す。終戦後の食料が少ない時代、握り飯を包んでいた竹の皮を捨てると、それを拾う人の姿があった。「こびりついた米を狙っていた。本当にひどい時代でした」。戦争体験は、小学校での講演会などで語る機会も多い。目にしてきた激動の時代は、「楽しい記憶も辛い記憶も含めて懐かしい」という。風化し失われないよう、丁寧に語り継いでいく。
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