上永谷町内会の役員らが構成する「災害時支援者委員会」は6月18日・19日の2日間、地域の災害対策を学ぼうと東日本大震災の被災地を訪問。意見交換会を通じ、地域住民の代表者や民生委員児童委員らと交流した。
同委員会は上永谷町内会の役員や同地域担当の民生委員児童委員が構成する組織。2008年に行政から各地域で災害時の要支援者名簿を作るよう指導されたことを機に同町内会に立ち上げた専門部会が原点で、翌年にはその分野に詳しい地域の民生委員児童委員も加わった。
名簿作成にとどまらず、現在は災害時の要支援者の安否確認や避難誘導を目的に活動しており、定期的に炊き出し訓練や救命救急法の講習会も行っている。今回も被災地の声を聞くことで自分たちの災害対策の見直しに役立てようと計画したものだった。
鍵は助け合いの精神
今回参加したのは同会のメンバー8人。仙台市や石巻市など宮城県の被災地を巡るなか、東松島市では市南部に位置する宮戸島を訪れ、島を構成する4つの集落の代表者らと交流した。
東松島市は全家屋の約70%が全壊や半壊、津波の浸水地域は市街地の65%と全国最大だった地域。家屋に甚大な被害を受けた宮戸島では震災発生時に防災無線が機能せず、津波警報が流れなかったにもかかわらず人口約1000人の島で死者はほぼ皆無だった。
島民によると、この要因は、「少しでも揺れたら高台に逃げる」という意識が常日頃から島で徹底されていたこと、さらに島民同士顔見知りの関係が築かれており、避難して来ない人をすぐに把握できる状況にあったことだという。
同会メンバーの齋藤洋さんは、「島民には利他主義が根付き、自分の貴重品よりも他の高齢者の命を優先させたことは島の誇りだと語っていた」と話し、人的被害を最小限にとどめたのは「避難訓練の細かなテクニックよりも、島民同士の絆の賜物」と感じたという。
一方、上永谷町内会では加入者だけでも1700世帯。「向こう三軒両隣」の関係は一朝一夕で築けるものではなく、「まずは要支援者宅を訪問して関係を密にすることから始めたい」と今後について説明。また、「共助は自助があってこそ。自分は無傷でいられるという考えは捨てなければ」とも話した。
同じくメンバーで上永谷の寺院「貞昌院」の副住職を務める亀野哲也さんは寺に残る記録から、「永野地区では関東大震災発生時に住民が一致団結して火災発生を防ぎ、土砂崩れで埋まった道も3日で復旧させた」と語り、「自力で避難できる人は周囲に手をさしのべる助け合いの心を生み出す組織になれば」と期待を込めていた。
|
<PR>
港南区・栄区版のトップニュース最新6件
|
|
|
|
|
|
|
|
<PR>