本牧 気まぐれ歴史散歩 67 『麦田車庫』 町のランドマークだったところ
八聖殿に展示している今回の写真を見て「麦田車庫だ、懐かしい」と話されていくお客様は今も多いです。海水浴や潮干狩りをしに本牧方面行きの市電に乗り、トンネルを抜けたところにある麦田車庫を見て「本牧に来た」と感じたこと、次第に英語の文字の看板が街のあちこちに掲げられている商店や広い芝生の中に点在する米軍住宅を車窓から見て、本牧は別世界だと感じたことなど、当時の思い出話で盛り上がる写真の1枚です。
麦田という地名の由来には「ムギ(=段丘を示す言葉)」の田圃があったこと、という説もあります。明治44年(1911)に横浜電気鉄道のトンネルと軌道が完成し、本牧へ電車が開通したことで、柏葉からトンネルへと続く谷戸の入口に麦田車庫が設けられました。現在の鉄道の車両基地も、まっすぐで平坦な谷戸に設けられることが一般的なことから、横浜中心部にもすぐに車両を供給できる麦田が車両基地として選ばれたのでしょう。
アーチ形をした麦田車庫の窓や総レンガ造りと思わせる装飾も、明治期から洋館が多く立ち並んでいた山手から本牧の街並みに合っていたのではないかと感じます。当時の町のランドマークだったと仰る方のお話にも頷ける建物だったことがうかがえます。
現在は清風荘がある場所の角に建っている麦田車庫跡の碑を改めて読み終えたあと、次はこの散歩でも何度か通っている道に向かいたいと思います。(文・横浜市八聖殿館長 相澤竜次)
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