小野路の里山活用を目的に、養蚕文化の継承を試みる市民団体「小野路シルク工房」が5月12日、野津田薬師堂で初の豊蚕祈願を行った。昨年8月に発足しかつて町田でも盛んだった養蚕に初挑戦。繭玉収穫後には供養を行うなど、精力的に活動してきた。今春、2回目の挑戦となる。
祈願当日、メンバー7人が野津田薬師堂で毎年行われている春季薬師如来護摩供養に参加。護摩が焚かれた荘厳な雰囲気のなか養蚕の豊作を願った。メンバーは副住職の矢田弘雅さんから護摩札を受け取り、今後、蚕を育てる蔵に供える。
同団体は昨年、複合施設「ヨリドコ小野路宿」内にある蔵を拠点に初の養蚕に挑戦。夏から育てた1000頭の蚕を孵化させ、桑の葉を餌として世話した。5回の脱皮を見守り、秋に繭玉となった後は、糸取り体験のワークショップを開くなどの活動を展開した。
かつて栄えた養蚕業
町田市は大正から昭和初期まで養蚕業が盛んで桑畑が一面に広がる風景があり、八王子から横浜へと続く「絹の道」の中継地点として栄えた歴史がある。
かつて市内の金井地区で養蚕農家の娘だった石阪(旧姓・横山)千鶴子さん(98)によると、養蚕農家では毎年5月ごろになると桑の葉を薬師如来に供え豊蚕を祈願し、その桑を持ち帰り、病魔を防ぐため蚕に与えていたという。大量の桑を育てることが重労働で、父は男性を3人ほど雇い、石阪さんも手伝っていた。「濡れると餌にならないから、雨が降る前に収穫しなくちゃいけなくて。桑の葉も成長してくるとかさが増して大変で」と話す。当時、養蚕は現金収入につながる事業だったが戦争が始まる1940年ごろから、勤めていた男性らが徴兵され人手不足となり廃業に向かっていったという。
同団体代表の世羅田京子さんは「今年の春は2回目の挑戦。生き物の命を頂く作業なので、天命を全うして、なるべく多くの蚕に繭になってほしい。前回より、より良い行程で進めたい」と意気込みを見せた。
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