令和元年は、昭和94年、大正108年に当たる。人生100年時代とはいえ、文字通り「明治は遠くなりにけり」だ。市内大和東の『金時風呂』こと岸木工有限会社は、明治43年に創業、来年110周年を迎える。3代目社長の岸幸博さん(69)に、「令和」改元に際し、明治から続く社業の歴史を紐解いてもらった。
明治の末、幸博さんの祖父・玉三郎さんが始めたのは桶屋。実家の小田原・橘地区(当時下中村)は、近くの曽我梅林で採れた梅を使った梅干を筆頭に、今も当時も漬物を商う店が多く、梅をつけるための桶や樽、たらいなどが大量に必要だった。名前から取って『おけたま(桶玉)』と呼ばれ、「丸太を貨車で買ってきて、製材し、大量に出荷していた」そうだ。
当時は「頼まれれば作る」程度だった風呂の製造は、父の義一さんが戦争から帰ってきて、玉三郎さんから会社を引き継いだ頃から増え始めた。社名も現在の「岸木工有限会社」に改めた。幸博さんが誕生したのも、ちょうどこの頃だ。
大和には小田原の支店として出てきた。大和町が大和市になる頃、幸博さんは小学5年生だった。
賑やかな商店街、きらめくネオンサイン。「大和駅に食堂や屋上遊園地がある相高ストアがあって。高島屋だと思っていた」と当時を振り返る。
家庭の浴室は、木製からタイル張りに移り変わっていった。幸博さんは父を助け、タイル貼りの技術を身に着けるため、中学卒業後、修行に出る。修業先では1年もすると1人で工事を任されるようになった。社名はそのままに、実家の小田原近くで金太郎伝承の地である金時山から取って屋号を「金時風呂」とした。
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結婚をした25歳の頃。商店街の2代目は同世代が多く「青年部を作ろう」という流れは必然だった。40人ほどで作った青年部に親会から勅命が下る。「阿波踊りをやれ」。
皆で、高円寺まで教わりに行き、新橋通りで連を作り、中元時期の余興として踊った。今の大和阿波踊りの始まりだ。第1回から携わり、現在は振興協会の会長を務める。任期の更新も未定だが、目下の懸念事項は今夏ではなく、実は来年の開催。例年7月最後の土日に開催しているが、「来年はオリンピックと重なるので、警察から警備の関係で時期を変えて、と言われていて…」と苦しい胸の内を語る。来年は7月2週目に繰り上がる予定だ。
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12月で古稀を迎える幸博さん。明治に興った会社も社業を継ぐ人はおらず、残念ながら自身の代で終わりになるという。新しい「令和」の時代、「細々とやりますよ」と豪快に笑った。
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