陸前高田市戸羽太市長 復興の今を講演 「見守り続けて欲しい」
町田市で青年期を過ごした岩手県陸前高田市長の戸羽太氏が12月1日、町田市文化施設・和光大学ポプリホール鶴川の開館記念イベントで講演した。戸羽市長は「町田の皆さんに見守ってもらえることが、私たちの力になる。復興するまで長い年月がかかるが、見守り続けてほしい」と呼びかけた。
事前予約制ですぐに満席となった戸羽市長の講演「私たちは忘れない がんばれ陸前高田」。戸羽市長は講演の中でこれまで支援を続けている町田市民に感謝の気持ちを表すとともに、陸前高田市が置かれている状況などを話した。
人口2万4000人あまりだった同市では、東日本大震災で1700人以上が津波の被害で犠牲になった。中心街は全て津波に襲われ、戸羽市長自身も市庁舎の屋上に避難し、九死に一生を得た。
講演の中で、復興に向け様ざまな問題があることを指摘した上で、「中心街は低地にあったため、高台に移さなければならない。そのためには、木を伐採し山を削る必要がある。しかし、木を1本倒すにも国などに対して多くの許可が必要となる。補助金を受けて進めてきた事業もあり、簡単には許可が下りない。被災者のための公営住宅を作ろうとしても『6カ月待ってくれ』と言われる始末。そんなに待てないと押し問答の末、結果は2週間で許可が下りた。出来るなら最初からやってくれ、自分たちはやらなくてはならないことがまだ多くある」と訴えた。
今後の復興計画には「8年計画で事業を進めているが、全てを失った今、同じものを作ってもしょうがない。子どもたちが未来に誇れるような町を作りたい。胸を張って『これが僕たちの町ですよ』と言えるような町にしたい。障がいを持つ人と健常者が互いに区別することなく、社会生活を送れるようになれば。アメリカに留学していた時、車いすの人も他に障がいがある人もバーでお酒を楽しみ、ボーリング、ゴルフに興じていた。社会がそのような人たちを普通に受け入れ、生活している。『ノーマライゼーション』という言葉を初めてその時知ったが、復興した陸前高田市ではそのような言葉を使わなくてもいい町づくりをしたい」と抱負を語った。
そして最後に「テレビでは被災地の話題が少なくなり、今年のお正月ではお笑い番組が多く放送され、みなさん楽しそうでした。しかし陸前高田にはお正月は来ませんでした。市民はとても悔しい思いをしました。もちろん仕方がないことは分かっていますが、全国の皆さんに忘れられてしまったら、仕方がないといって頑張れるでしょうか。私たちがこれから復興に向け頑張れるためにも、心のどこかで『被災地で頑張っている人がいる』と思ってもらえるだけでも力が湧いてきます。復興を見守ってほしい」と呼びかけた。
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