今年は寅年。市立金井中学校出身で、陸上女子1万mでリオデジャネイロ五輪に日本代表として出場した関根花観さんに、これまでに「トライ」してきたことや、これからの「トライ」について語ってもらった。
──中学生で長距離にトライ。でも最初は陸上部じゃなかったとか。
「テニス部でした。1年の時、体育祭の800mで1位になり、陸上部の顧問の先生にスカウトされて。最初は大会の助っ人程度で、部活も掛け持ちでしたけど、いつの間にか陸上一本になっていました。人と争うことがあまり得意ではなく、自分自身と向き合う陸上は性に合っていたんだと思います」
──それで「陸上人生」が花開きましたね。
「15歳で親元を離れることになりました。高校の練習はきつくて顧問の先生もすごく厳しかったけど、仲間とはすごくまとまって、2年の全国高校駅伝で準優勝、3年で優勝することができました。進路先は高橋昌彦監督だということと、憧れの鈴木亜由子さんが入部するということを知り、創部1年目の日本郵政グループにお世話になることに。生まれて初めて海外に行き、合宿をしたり大会に出るなど、色々なトライがありました」
──そしてリオ五輪2016に出場しました。
「世界の選手はとにかく体格も違うし、会場の雰囲気にも圧倒されて...。ものすごく緊張しましたね。貴重な体験ができ、東京五輪出場への思いが強まりました」
栄光からの挫折そして再スタート
「翌年の1万mの世界選手権に出られず、切り替えるつもりでマラソンに転身しました。もともとマラソンをしたかったので、良い転機だったかもしれません。名古屋での初マラソンで日本人トップになり、MGCの出場権を獲得できましたが...。骨折は原因が分からず辛かったです。MGCには間に合わず、東京五輪出場の夢も終わってしまいました」
──そこから新しいトライが始まりましたね。
「現役を引退し、今までやりたかったことにトライすることができ、新しい人生をもう一度スタートした感じです。子どもと接することが好きで、昔から考えていたことですが、これまでの経験と新たに学んでいる保育の世界を通して、子どもたちにスポーツの持つ力や身体を動かす楽しさを伝えていきます。競技人生では様々な人たちに支えられてきました。これからは恩返しのつもりで頑張りたいです」
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