9月8日早朝、2020年の五輪開催地が東京に決まった。その直後、市内深見に住む元大和市議の村上寛光さん(67)は、タンスの奥にしまっていた1枚のランニングシャツと記念バッジを取り出し、交流サイト『フェイスブック』に写真をアップした。
「あの感動を再び!
私は1964年『東京オリンピック』の聖火ランナーでした」
村上さんが9月8日朝に書き込んだコメントには友達74人が『いいね!』を押した。
村上さんは1946(昭和21)年、福島県中通りの旧富久山町(現・郡山市)に生まれた。高校3年生だったある日、学校で先生に呼び出され「聖火ランナーに決まったぞ」と告げられた。「なぜ選ばれたかはいまだにわかりませんが、そりゃもう嬉しかったです。母親も親戚も喜んでくれました」と当時を振り返る。
約10万人が参加したといわれる東京五輪の国内聖火リレーは、1964(昭和39)年9月9日に沖縄を出発。鹿児島からの第1コースと宮崎からの第2コース、北海道・千歳から日本海側を南下する第3コースと太平洋側を縦断する第4コースがあった。
ひと月かけて列島を縦断した聖火は10月9日に皇居前で合流、10日午後の開会式で聖火台に灯された。
福島県の旧・富久山町
富久山町では当時、町内から中高生46人を選抜して2組のリレー団を結成。当日は聖火トーチと予備トーチをもつ3人の高校生を中心に中学生20人が随走し、町民の声援をうけながら町を走った。
予備トーチを任された村上さんは赤い日の丸と黒の五輪マーク、「TОKYО 1964」のロゴが入ったミズノ社製の白いランニングシャツを着て、役場から郡山市方面の逢瀬川橋まで約2Kmを走った。
「半身不随だった祖父が逢瀬川橋まで応援に来てくれた。今でも鮮明に覚えています」と話す村上さん。東京五輪の再来に想いを馳せながら「チャンスがあればもう一度、聖火リレーに参加したい」と話していた。
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