大戦末期、高座海軍工廠(現在の座間市など)で戦闘機の製造に従事した台湾少年工の来日75周年を記念する大会が20日、シリウスで元少年工22人を招き開催された。元少年工の高齢化により、大規模な大会は今回で最後とみられる。
台湾少年工は、日本で戦闘機を製造しながら旧制工業中学の卒業資格や航空機技師を目指す条件のもと、試験に合格した14〜15歳の少年で、終戦までに約8400人が来日。厚木飛行場(当時)に供給する『雷電』の製造に従事した。しかし戦況は次第に悪化し、爆撃による死者も出た。
地元民は過酷な環境下で熱心に働く少年工を見て、食料を与えたり衣服を繕ったりと優しくもてなした。少年工は終戦後もその恩が忘れられず、戒厳令解除を機に同窓組織「台湾高座会」を結成し、大和を『第二の故郷』として交流を開始。1997年には来日50周年を記念し、爆撃があった場所(ふれあいの森)に台湾亭を建て市に寄贈した。
今回は大会前に、地下工場があった芹沢公園で顕彰碑の除幕式を実施。シリウスの大会では甘利明大会会長が元少年工に感謝状を贈った=左写真。
父が上草柳の寄宿舎の舎監だった石川公弘実行委員長(84)は「元少年工の方は、地元民の恩を忘れずにいる。現在大和に住む人も歴史を忘れてはならない」と話した。
「台湾高座会」の李雪峰会長(92)は「高齢化が進み90歳前後になるが、次世代による青年部が結成された。『第二の故郷』との絆は今後も切れません」と力強く語った。
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