「プロ野球選手になる」。上和田在住の東保輝さん(24)は、独立リーグながら幼いころに描いた夢を叶えた。高校で挫折し、一度は野球から離れたものの、くすぶり続けていた思いを再燃させ、自らの手で夢への扉をこじ開けた。
東保さんが入団した福島レッドホープスは、2014年に誕生した福島県唯一のプロ野球チーム。日本野球機構(NPB)とは別組織の独立リーグ「ベースボールチャレンジリーグ(BCリーグ)に加盟し、元ヤクルトスワローズの選手で、メジャーリーグでも活躍した岩村明憲さんが監督兼代表を務める。
東保さんは昨年11月に開かれた同チームのトライアウト(入団テスト)に合格し、12月17日には入団会見が行われた。身長170cmと小柄ながら、パンチ力のある打撃に自信を持つ東保さん。シーズンを前に「ワクワクして、気持ちが燃え上がっている。スタートダッシュを決め、首位打者を取って、来年にはNPBへ行きたい」と満面の笑みを浮かべた。
今でも夢に出てくる
子どもの頃からの夢だった「プロ野球選手」に東保さんが挑戦したのは、トライアウトの僅か半年前。それまで6年もの間、野球から離れていた。
野球を諦めたきっかけは高校野球での挫折。高校時代「甲子園で優勝して、プロ野球」という明確な目標を掲げ甲子園の常連校・横浜高校に進学。中学時代にスカウトされて入学する生徒も多い中「同期の中では一番練習した」というほどの努力で、新チームとなった2年生の秋にはメンバー入り。打順も5番を任されるまでになった。
NPB入りで「恩返しを」
甲子園予選のシード校を決める春の大会。第1シードを賭けた桐蔭学園戦。同点で迎えた延長10回、ランナー2塁のチャンスで出番が回ってくる。一躍ヒーローになれる場面で一球もバットを振らず三振に倒れてしまう。「今でも夢に出てくる。どんな球種で、なんという名前の審判だったかなども鮮明に覚えている」と告白する。
球場のヤジやSNSによる批判など「今なら何ともないが当時は、精神的に弱気になった。『もう無理』と思ってしまった」という。
それでも甲子園出場を目指し「盛り返して夏までにカムバック」と思ったが、一度切れた気持ちは簡単には戻らず、監督・コーチもその様子を察知。以後、レギュラーに選ばれることはなく、引退・卒業した。
大学では一切野球はやらなかった。「草野球でも始めてしまうと、すぐ熱くなり、上のステージを目指したくなるから」。部屋には全身が見える姿見を、枕元にはバットを置いたまま、野球への思いは封印した。
一昨年、医療機関の総合事務職に就職。コロナ禍で、家に帰る時間もないほど多忙な日々が続いた。しかし、仕事に没頭すればするほど、野球への思いが頭をもたげた。「今、挑戦しなかったら一生後悔するのでは。一度挑戦してだめなら諦めがつく」と昨年5月末、独立リーグのトライアウト挑戦を掲げ、ひそかに練習を開始した。
高校時代の同期やトレーナー、ボーイズリーグ時代の監督などが練習相手を買ってで、グラウンドなど練習場所を提供してくれた。練習はいつも仕事が終わってから。時には日付が変わることもあったが、どちらも休むことはなかった。
6年間のブランクは練習を重ねるたびに埋まり、自信が漲った。しかし結果はついてこなかった。BCリーグを8球団、さらには四国アイランドリーグのトライアウトにも挑戦したが不合格に終わった。
合格しなかったが、やれている自信はあった。ラストチャンスと挑んだ福島から、トライアウト合格の報が届いたのは11月中旬。ついに「プロ野球選手」の肩書を手に入れた。
高校時代から使っているグローブ。中には「母に感謝」の刺繍が入っている。ひとり親で育ててくれた母には野球を再開したことも伝えなかった。「合格を伝えたら驚いていました。ただ『自分で決めてるのなら』と応援してくれた」と照れ臭そうに笑った。
プロ野球選手という夢を叶えた今、「NPB入りで支えてくれた皆に恩返ししたい」。新しい目標が生まれた。
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