横浜野球連盟 金沢支部の元理事長で、50年近く同支部を支える 大村 勉さん 六浦南在住 75歳
野球一筋の熱血漢
○…横浜野球連盟金沢支部のメンバーになって47年。数限りない試合の審判を務めてきた。理事長は退いたが、75歳の今でも毎週末グラウンドに足を運ぶ。「そりゃあ、行ったら審判したくなるよ。でもみんな優しくて、見ていて下さいと言う。審判するのはせいぜい1試合」と残念そうな表情を見せる。小学2年で始めて以来、野球への情熱は少しも冷めることはない。
○…普段は温厚な人柄だが、一たびユニフォームに袖を通すと、人格が変わる。40代半ばまで現役選手として企業の野球部で活躍。全国大会出場経験もある。足を怪我しても、指が折れても、「俺がいなかったら負ける」と監督に直訴し出場したという熱血漢だ。冷静であるべき審判でも、「いい球が来れば、つい興奮しちゃう」とてれ笑い。だが逆に、いい加減な試合は、容赦なく叱り飛ばすという。「相手に失礼でしょう。真剣勝負をしないと」。区民大会の若手選手にとっては、学校を卒業しても叱ってくれる貴重な存在だ。
○…審判は野球部の先輩から誘われて始めた。身についた「選手の動き」が邪魔となり、「最初は苦労しました」と振り返る。3塁のベースアンパイヤを担当すれば、内野ゴロに反応し、審判にもかかわらず「セカンド」と大きな声で指示。また、持ち前の俊足が裏目に出て、ランナーよりも早く塁についてしまうこともあったという。「体が勝手に動いちゃう。慣れるまで1、2年かかった」
○…「自分には野球以外、何にもない」ときっぱり。結婚するときも相手に「一生涯、野球はやり続ける」と宣言した。その言葉通り、家にいることはほとんどなかったという。「よく女房が逃げなかったと思う。感謝しかない」。そんな父親を見て育った娘は野球部マネージャー、息子は野球部でキャプテンを務めた。孫も高校球児に成長し、甲子園を目指しているという。「野球一家だよ」と目じりを下げた。
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