横浜市金沢区工業団地連絡会の会長に就任した 松村 洋一さん 能見台在住 60歳
「良い街に」が共通言語
○…夢を描いて多くの企業が進出した、埋め立てのまっさらな地――「自分たちで街をつくっていこうという思いが最初から強い場所」と熱をこめる。その横浜金沢産業連絡協議会、横浜市金沢団地協同組合、金沢中央事業会の3つの団体で構成される区工連の会長に就任した。「”街を良くする”が共通言語。今度は次の代に繋げられるよう、力を合わせて金沢区を活性化させたい」
○…ニュータウン色が色濃い富岡地区に越したのが高校1年の時。放課後は必ず近所の自転車店を手伝うほど自転車に夢中だった。店に来る子どもらとクラブを作り、山梨県までペダルを漕ぐことも。興味は大学進学後も続き「いつかは自転車の仕事を」と夢見ていた。だが、金属加工業を営む父親は反対。父の会社に就職するも「よく喧嘩していましたね」と懐かしむ。
○…1992年、産業団地に移転。その半年前、完成を待たずに母、父が帰らぬ人に。「好き嫌いを言っていられない。従業員がいるんだ、何とかやっていかなきゃ」。自分を奮い立たせた。だが、同時に襲うバブル崩壊の波。「3倍を見込んでいた受注も半分」と苦笑する。そんな折、組合企業の倒産で連帯債務を負うことに。絶望的な状況にも「返さないという気持ちにはならなかった」。それはこの地で奮闘する街の仲間がいたから。苦労や経営への姿勢など、意見交換する中でつながり心の支えになったという。「一人では乗り越えられなかった」と感謝する。
○…「人生も生業も世話になっているのだから」と地域に心を寄せる。時代や環境の変化に合わせ、行政も巻き込んで活性化に取り組んでいく。総会でも個人より街の発展が毎回議論されるほど、街づくりに熱い土地柄だという。「次世代が継いで良かったとスタートできる場を用意することが親世代の責任」。思いがけず長男も今年、入社したばかりだ。「次の20年30年に向けて街を見直したい」
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