ブラインドマラソンの先駆者で磯子区視覚障害者福祉協会の理事長も務める 上杉 惇さん 磯子区磯子在住 84歳
失明にも希望の光、絶やさず
○…42歳の時、スキー中の事故で網膜剥離となり光を失った。当時の心境を、著書で「丸裸で宇宙空間に投げ出されたような気持ち」と記す。妻と小学生の2人の子どもを抱え、今後どんな生活を送ればいいか。左目の視力がわずかに残る内にやるべきことは山積みだった。止まっている時間はない。養護学校から盲学校への教諭の転職などを決めた。
○…走り始めたきっかけは、主治医の「肥満気味で血圧も高い。何か運動をしたらどうか」という言葉。「父のように早死にはしたくない」と考えていると、友人にマラソンを勧められた。一緒に練習してくれることになり、早朝の久良岐公園でトレーニングを開始。「思った以上に恐怖心があり、10mも走れなかった」と振り返る。何とか続けていくと距離も伸び達成感を感じるように。1年後にはフルマラソンを走破するほどに成長した。体重も血圧も順調に落ちた。
○…23年前、「閉じこもりがちな障害者の居場所を作ろう」と、福祉施設「ジョイフレンズ」を設立した。「自分の家以外に慣れ親しんだ空間があれば、少しは気軽に外に出てくれるのでは」との思いからだった。ガイドヘルパーなどの育成にも力をいれる。今でも朝5時にガイドヘルパーと家を出て、事務所に出社する。
○…点字ブロックや音声信号の設置、電柱の地中化、段差の解消、駅のエレベーター設置──まちのバリアフリー化を訴えるため、行政や土木事務所に足を運んだことは数えきれない。「マラソンで培った『粘り』『努力』ですかね。あっちこっちで陳情して少しずつ実現していけば」。できることはまだ多く残されているとも。「まだまだやるよ」。希望と情熱の光を灯し続ける。
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