横浜創学館高校・硬式野球部の主戦投手で、阪神からドラフト4位指名を受け仮契約した 望月 惇志さん 芹が谷在住 18歳
妥協なき探究 プロの道開く
○…目標だった聖地・甲子園を本拠地にプロとしての第一歩を踏み出す。ドラフト会議の後、携帯電話に届いた350通もの祝福メッセージには3日がかりで返答した。「変化球を増やし、直球のキレに磨きをかけたい」。余韻に浸る間もなく、先を見据える。
○…芹が谷在住。2人の兄の影響で白球を追うように。「練習のある土日が待ち遠しかった」。芹が谷中時代は硬式クラブの横浜南ボーイズで投手に。「本塁打と四球以外は野手の力で助けられる。7人が守ってるんだ」。指導者の言葉に、帽子のつばに「後ろ」と書いてプレーした。2度の全国行きを果たすも、怪我に泣いた最後の夏は登板叶わず。だが、それまでを評価し、唯一声をかけてくれたのが横浜創学館だった。「ここしかない」。心を決めた。
○…188cmの長身から投げ下ろす最速148キロの直球は、入学当初は未完の剣だった。原点は1年秋。練習試合で打ち込まれて早々に降板し、県大会はベンチを外れた。「悔しかった。倒れるまで全てやろう」。練習後、夜10時を回ってもジムへ。授業の栄養学を応用し、野球の成長を妨げる食べ物は徹底して排除した。追い込むたび脳裏をよぎるのは「あの試合」。「折れちゃいけない」、そう奮い立った。やがて背番号1の重みも後押しに。「背中で引っ張ろう」。先頭に立ち、仲間をフォローする。胸に生きるのは「後ろ」への信頼だ。自信を削がぬよう「味方がミスした時はホームを踏ませるな」。先輩の言葉を守り、己の背中で関係を築いた。ボーイズ時代から絆で結ばれた遊撃手のエラーでは、そのせいか失点がない。
○…入学から2年で、球速は20キロ近く増した。「プロが、夢から目標に変わった」。次の夢は「日本代表」。高校の先輩で、日本の年間最多安打記録を塗り替えた西武・秋山翔吾選手の波に乗り、「創学館を全国に広めたい」と真っすぐ話す。後輩の道標として、新たな舞台に立とうとしている。
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