旧下鶴間村の江戸時代の名主・古木家に伝わる古文書約5千点を、30年間にわたり修復、釈文している古木昌子さん(93)=中央林間=がこのほど、『古木家文書目録二』を刊行した。
1940(昭和15)年、当時二十歳だった昌子さんは、現在の大和市北部にある公所の古木家に嫁いだ。
古木家は、徳川家の直轄地だった相州高座郡下鶴間村公所の旗本江原氏に仕えた名主だった。昌子さんの夫は初代・傳左衛門(1655年没)から数えて14代目の故・弘造さんで東大助教授を経て晩年は名古屋大学教授として活躍した。
1957(昭和32)年に公所から中央林間に引っ越す際、文書蔵にあった数千もの古文書を段ボールにまとめた。当時、市から資料の提供を頼まれた弘造さんは「村内のものは目を通してからでないと出せない」と固辞。定年後に文書を整理することにしていたが、76(昭和51)年に66歳の若さで急逝した。
夫の遺志継ぐ
1980(昭和55)年、当時60歳だった昌子さんは夫が残した古文書の整理を開始。傷んだ文書は1枚ずつ修復しながらコピーをとり、古文書のくずし字を現代字に書きなおして読み解き、原稿用紙に書き写す作業を30年間、続けてきた。
家に残る最古の文書は1503(文亀3)年、北条早雲の命による神社に関する記録。次いで1591(天正19)年、徳川家康が旗本に宛てた朱印状の写しで、幕府からの命令や地域の訴訟、年貢割付や商工業、寺社、火災見舞い、私信など、江戸時代から昭和までの文書は約5千点に及ぶ。
長州征伐、種痘
古木さんは、2004(平成16)年に江戸時代の文書910点を一覧にした『古木家文書目録一』を発行。
長州征伐に徴兵された村人が死に、別の村人が埋葬して髪を持ち帰ったことや、その出た村人の畑を皆で耕した様子も書き記してある。
10月21日に完成した『目録二』には江戸後期から幕末まで916点と明治期の文書1415点を収録した。天然痘の予防接種「種痘」の文書では、太政官から神奈川県、戸塚宿、下鶴間村、公所へと通達が順に届き、明治政府の天然痘対策が公所の村人まで行き届いていたことがわかる。
「大正・昭和も」
昌子さんは「毎日作業には次々に新しい発見があって楽しい。主人が残してくれたおかげで長生きしています。大正、昭和の文書もできるだけ整理しておきたい」と話している。販売は一部2500円(税別)。 問い合わせは(株)永屋/【電話】046・293・5252。
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