神奈川県全域・東京多摩地域の地域情報紙

  • search
  • LINE
  • MailBan
  • X
  • Facebook
  • RSS
大和版 公開:2014年8月15日 エリアトップへ

満州で過ごした青春 生き証人に聞く戦争体験

公開:2014年8月15日

  • LINE
  • hatena
田澤昭男さん(85)1929年1月1日青森県生まれ。炭鉱で働く父の仕事柄、青森や北海道、秋田などを転々とする少年時代を送る。14歳から19歳までを満州で過ごし、1965年から大和市在住。現在は絵画教室で講師を務める
田澤昭男さん(85)1929年1月1日青森県生まれ。炭鉱で働く父の仕事柄、青森や北海道、秋田などを転々とする少年時代を送る。14歳から19歳までを満州で過ごし、1965年から大和市在住。現在は絵画教室で講師を務める

 太平洋戦争が終結した日から69年。そこで本紙では、先月27日に渋谷学習センターで開かれた「戦争を語り継ぐつどい」(大和・綾瀬年金者組合主催)でも語り手を務めた柳橋在住の田澤昭男さん(85)に、当時の体験談を聞いた。

 田澤さんは兵隊としてではなく、日本の青少年を開拓民として「満州国」に送出する制度「満蒙開拓青少年義勇軍」の一員として、満州で5年間を過ごした。

 田澤さんが同義勇軍への参加を決めたのは14歳の時。通っていた秋田県の高等小学校で募集があるのを聞き、「自分がいなくなれば、4人の弟の食べるものも増えるのではないか」。そう思い立ち、両親に黙って実印を持ち出し、勝手に応募したという。「父には怒られ、母には泣かれましたが決意は変わりませんでした」と語る。

 1942年4月に結成された秋田中隊に入隊。満州での開拓に備えて畑仕事や軍事訓練に従事した。同年9月、満州に向けて新潟から出航。到着後は大石頭という場所で開墾作業にあたった。「荒れ地の開墾は大変な作業。とにかく寒くて、凍った弁当を食べるのが辛く悲しかった」。常に空腹にも悩まされ、畑に埋められた凍ったジャガイモなどを食べて飢えをしのいだ。

 その後は挺進隊員として奉天市の三菱機器重工業株式会社に勤務。軽戦車や自動小銃の部品作りに従事しながら、迎えた1945年8月15日。ラジオ放送を聞いて涙する軍人を目にして、初めて日本が戦争に負けたことを知った。「本当に戦況は知らされていなくて。想像もしていなかった」。

 その後は状況が一変。日本に帰ることもできず、公安隊につかまり留置場に入れられたこともあった。耳に電極を挟み電気を流したり、水を出しっぱなしのホースをくわえさせられたりする拷問部屋も目にした。「苦しみわめく声が耳から離れず、いつか私も同じ目にあうのでは」。そんな思いは常にあったそうだ。

 1947年、当時勤務していたビール工場の計らいで帰国。船から見た日本の島々の風景に心から感動を覚えた。また、東京に向かう途中に目にした、焼け野原になった広島の景色に驚かされたという。

 今、田澤さんは言う。「自分は運が良かっただけ。世の中がどう動いているかも知らず、深く考えなかった自らの愚かさが悲しい。同じ過ちを繰り返さないためにも、今、何が起きているのかを見極めていきたい」。
 

綾瀬スマートIC近く家族葬式場

樹木葬と家族葬「ゆかりえ」 ~グリーフケア~感謝で送る家族葬

https://www.fujimishikiten.co.jp/

<PR>

大和版のトップニュース最新6

新規就農者を支援

大和市

新規就農者を支援

担い手不足・離農に対策

4月26日

5年ぶりパレード復活

大和市民まつり

5年ぶりパレード復活

総勢1700人が参加

4月26日

成年後見の窓口を新設

大和市社協

成年後見の窓口を新設

月2回、専門家も対応

4月19日

助成申請は226件

自転車用ヘルメット

助成申請は226件

努力義務化から1年

4月19日

全国俳句大会で最高位

下鶴間在住佐藤直哉さん

全国俳句大会で最高位

3万句超、2人の選者から

4月12日

部活動の地域移行を推進

大和市

部活動の地域移行を推進

日体大と連携協定

4月12日

意見広告・議会報告政治の村

あっとほーむデスク

  • 4月26日0:00更新

  • 4月19日0:00更新

  • 4月12日0:00更新

大和版のあっとほーむデスク一覧へ

イベント一覧へ

綾瀬で初公演

ロジェ・ワーグナー合唱団 好評発売中

綾瀬で初公演 大和市文化

心に響くゴスペルなど

4月28日~4月28日

大和版のイベント一覧へ

バックナンバー最新号:2024年4月27日号

もっと見る

閉じる

お問い合わせ

外部リンク

Twitter

Facebook