寄稿 「終戦の日」によせて 大和市議会議員 古谷田 力
8月4日、「大和市戦没者遺族会」の靖国神社千鳥ヶ淵参拝に出席致しました。
日本のため、大和のため、家族のためにご奉公なされた大和市戦没者660余名の方々並びにあの戦争で亡くなられた方々のご冥福をお祈り致します。
参拝する理由
ここで私が毎年靖国神社に参拝する事を説明させて下さい。
私の伯父(父の兄)である古谷田数重は、満州に出兵し帰らぬ人となりました。昭和20 年2月末にいきなりの召集令状が届き、3日後の3月1日には甲府の陸軍歩兵149連隊に入隊。その時、父は8歳で上草柳の生家から大和駅まで「兄ちゃん、兄ちゃん」と声をかけながら走って見送ったそうです。祖母も急の支度に武運長久を祈るお守りの「千人針」を作成したといいます。
満州に着いてからは満州ハイラル第119連隊野戦砲兵に配属。同年8月10日、享年22歳の若さで戦死したと聞いています。
そして私は、毎年お盆になるとおばあちゃんから伯父 数重の話を聞きながら育ちました。
おばあちゃんの口ぐせは「数重はかわいそうだ、うまいものも食わず、楽しいこともせず、御国の為に遠い異国で死んでしまったのだから」。そう、いつも泣きながら語っていました。お盆の時期にテレビで二葉百合子さんの『岸壁の母』が流れると、みんなが泣いていたのを子ども心に不思議に見ていました。
でも今、この年齢になると、おばあちゃんが「(伯父が)もしや満州から生きて帰って来るのでは」と思って泣いていたのかと思うと、私も涙が出ます。私が19歳の時、慰霊塔公園での遺族会最後の式典がありました。おばあちゃんと出席したのを思い出します。
私の使命
戦争は絶対起こしてはならないし、過ちを繰り返してはならないと、強く思います。そしてこの悲しい出来事を風化させず、子々孫々 未来永劫語り継がなければならない、それが私にとって伯父から、おばあちゃんから受けた使命と思っています。
御国のために未来の子ども達のために命を懸けた英霊たちが今の日本を見てどう思うでしょうか?
戦後間もないころは、みんなが貧乏でも、助け合って生きていた時代だと思います。「生活は苦しいが、子どもにだけはひもじい思いをさせたくない」と父母は一生懸命働き、子どもは父母が苦労をしながらも自分を支えてくれる愛を感じ、「いつか両親に働いて恩返しがしたい」と思ってきました。親思う心に勝る親心といいますが、昔は親が子を思う気持ちと、子が親を思う気持ちが美しく機能していたと思います。だからこそ、経済大国になしえたのではないでしょうか。
またこのことは日本人以上に海外から評価を受けています。
人が資源
資源も少なく、領土も狭く、農業で輸出することもできない国、日本。条件的には力を持ちづらい国にも関わらず、100年ほど前に清(現在の中国)や世界最強とうたわれたロシアに勝利し、アメリカとヨーロッパには負けはしましたが、アジアに存在した植民地を解放したのも日本ではないでしょうか。ただし、決して戦争を美化しているわけでも肯定しているわけでもありません。
敗戦後、各主要都市は空襲により道路、電気などインフラがすべて焼け野原になり衣食住もなくなりました。しかし敗戦国であった日本が30〜40年後には経済でGDP世界第2位の国に。世界から見たら奇跡の国なのではないでしょうか。資源の無いちっぽけな島国、日本。この日本の唯一の資源があるとすれば人ではないでしょうか。
真面目でよく働き、誰よりも思いやりがあり、モノづくりの技術力が高く、誰よりも謙虚に生きる日本人。人を資源とするならば、教育が最重要課題になってきます。日本人として「誇り」が持てるような道徳教育をするべきだと思うのですが、どうでしょうか。
また、現在日本の家庭ではエアコン、テレビ、洗浄便座など、物や便利さなどでは世界一裕福といえるほどになりました。しかし、本当に裕福になったのでしょうか?物質的には豊かになったかもしれませんが、心の豊かさは反対に減っている気がしてなりません。
今まで日本は、世界平和に向けた貢献活動を積極的に行ってきました。最近、議論を呼んでいる集団的自衛権の行使容認に向けた憲法解釈の変更に関しても、与野党が膝を突き合わせて、日本らしさを活かした世界平和につながる形になるよう議論していかなければならないと思っています。
■古谷田力事務所
大和市上草柳7の10の29
【電話】046・261・7518
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