世界へと海を渡った「初代日本丸」の元船長が区内松風台にいる。「今はこれといった名刺がないんだけれど」。差し出してくれたのは、消しごむで作った帆船のスタンプが押された手作り名刺。船は自身を物語るトレードマークだ。
子どもの頃見た、水平線をゆっくり横切る船が少年に夢を与えた。「米国に向かっている船だと知り、一気に憧れて。将来は船長になろうって」。東京高等商船学校(現東京海洋大学)を卒業後、終戦間もない1948年(当時22歳)から38年間、日本丸航海訓練所で実習生の教官として活躍した。
22年の月日で夢掴む
日本丸は1930年に建造された、実習生のための練習帆船。横浜や神戸などに寄航し海外へ。約54年間の大航海時代を終えた初代日本丸を横浜市は誘致し、1985年から横浜みなとみらいで現存展示・一般公開。”ハマの港”を見守っている船は、自身にとって現役時代そのものだ。
船長になるのは容易ではない。6つの階級をクリアし、晴れて船長になったのは44歳の時だった。「教官になって22年の月日で掴んだ夢」。最高技術レベルを要する日本丸のほか、海王丸の船長も務めた。「スクリューに頼らない、風で動かす船だから技術がいる」。風向きを読み取ると同時に、帆を動かす指令を実習生に送り続け、ハワイやシアトルなど海外を航海した。
現在85歳。紳士的で力強い声は、”キャプテン”の面影が今もなお重なる。
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