成合村・恩田村 歴史ひも解く「元禄絵図」 住民らに特別公開
時は元禄2年(1689年)。現在のたちばな台近辺の「成合村」が、桜台以南の「恩田村」に対し、土地争いを起こしていた―。
そんな青葉区の歴史をひも解く貴重な資料「成合村・恩由村裁許絵図」と判決文が、このほど、たちばな台町内会館で地元住民ほか都筑区の歴史研究会のメンバーらに公開された。
門外不出の資料
横浜歴史博物館での企画展を除き、門外不出の同絵図。「地域史の勉強になれば」と、代々地元で大切に保管してきた所蔵者の好意によって鑑賞が実現した。絵図の解説は、郷土史研究家の綾部宏さんが行った。
「歴史を知り愛着」
両村が争ったのは、「秣場(まぐさば)」と呼ばれる牛馬の飼料となる青草を採取できる里山の境界線。16軒しかなかった成合村は、恩田村に野銭を支払って借用していたが、両村間で土地争いとなり、成合村が幕府評定所に訴えたという。「訴訟の費用は訴えた側の負担。小さな村である成合村にとっては、村存続のための一大決心だったに違いない」と綾部さんは解説した。
公開された判決文には、成合村の主張を認めつつも、恩田村の開墾も容認し、新たな境界線を定めた内容などが記載。絵図には、一軒ずつ家が描かれているほか、現在とほぼ変わらない青葉台駅周辺の様子が転記され、当時の地図作成の技術の高さがうかがえる。
参加者は「貴重な資料を見ることができて光栄。自分の街の歴史を知り、さらに愛着がわいた」と話した。
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