震災により町田に避難する人たちが交流する「サロンFMI会」を創設した 木幡(こわた)四郎さん 町田市在住 65歳
感謝を胸に人を束ねる
〇…「社協の集いやそこで出会った「おやじ」の集り『じゃおクラブ』。こっちで人と人との繋がりに感謝した」。福島県浪江町で被災。翌日何の情報もないまま避難勧告を受け、独立した子どもを頼りに上京した。原発の事故により、リフォームしたばかりの家には戻ることができない。町田で新たな生活を始めるにあたり避難者の集まる会に参加。そこで「生きがいを与えてもらった」。その感謝の気持ちを今度は自分が周りに伝えようと、同じく避難を余儀なくされた人たちの交流サロンを立ち上げた。
○…浪江町で生まれ、すぐ会津に。「野山を駆け回る暴れん坊だった」幼少期は、お菓子など自由に買うことのできなかった時代。「さすがに時効だけど、他所の畑でスイカを盗んで食べて、叱られた」と笑う。当時父親は警察官。剣道有段者で、叱られるときは竹刀で叩かれた。自分も中・高校時代は剣道や器械体操に打ち込んだ。冬は小学生の頃からずっとスキー。ひと山越えなければならない中学校へはスキーを履いて通学した。高校卒業後、写真の専門学校へ。そして就職はテレビ局のカメラマン。映画「河のほとりで」を撮影中、スキーヤーのスタントマンが急性盲腸炎にかかり、急きょ代役を務めた。「あのシーンで滑っている石坂浩二は私なんだ」と照れながら笑う。そしてそこでスキー熱が再燃し、そのままテレビ局を退職、インストラクターに。インストラクターはアイスバーンで滑って転んで両足大腿骨を骨折するまで続けた。
〇…「今はサロンのことで頭がいっぱい」。自ら色々な会合に参加し、情報を吸収する。そしてそれらをサロンに活かす。「室内に籠っているとどうしても愚痴とかになってしまう。外に出て明るく楽しく、嫌なことを忘れられるような企画を考えたい」。友人や避難者の多くが福島に近い場所に戻っていったが、やりがいを見つけた今、「この街で落ち着こう」と考えている。
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