町田天満宮 宮司 池田泉 宮司の徒然 其の7 コミカンソウ
市内の自然公園に沿った小道でコミカンソウを見つけたのは数年前のこと。ネムノキのような葉の下に小さなミカンに似た実が並んでいた。その一つを採ってつぶすと中には黒い種がぎっしり。持ち帰って鉢に撒いたら、その繁殖力を止めるのが難しいことを知った。
今では近くにある全ての鉢に留まらず、地面からも芽が吹きだす。いつの間にか境内にも広がっていた。おそらく野良猫の足に種がついて運ばれたのだろう。背丈は30センチほどにしか伸びないから、それほど邪魔にはならないし、葉の茎に並ぶ蜜柑のような提灯のような赤い実はかわいらしい。
市街地近くの公園を散策するとコミカンソウは見当たらない。あれほど繁殖力旺盛な草がないのはなぜだろうと目を凝らすと、手入れされたサツキが並ぶ芝生に紛れて、芝よりも低いコミカンソウを見つけた。なるほどと気が付いた。
この多摩地区には様々なタイプの公園があるが、住宅地に近い公園は防犯・非行の面や、ホームレス問題などもあるが、何よりも誰もがどこでも散歩できることが必須条件なのだろう。
そのためには定期的に下草は刈られる運命にあり、コミカンソウは言うまでもなく、ワダソウ、イカリソウ、ギンリョウソウ、モミジガサ、ヤブレガサ、キンラン、ギンラン、ヤマホトトギス、ナンバンギセル、クサボケ、ホウチャクソウ、チゴユリ、フデリンドウ、コケリンドウ、ヒメハギなどなど…。挙げればキリがないが、林内の低い草は悉くけたたましいエンジン音の草刈機に一網打尽にされる。どれも昔は里山を形成するポピュラーな草たちだったが、とりあえず市街地近郊では絶滅に瀕している。散策用の林であって、決して自然公園ではない。
コミカンソウが住宅地近くの公園にあったのは、コミカンソウの逞しい生き残り戦略にある。芝より丈が低いのに、まるでディフォルメしたかのように小さい状態でちゃんと種を並べていた。これなら絶滅することはないだろうが、この公園ではずっと低い状態で生き続けなければならないのはちょっとかわいそうだ。
以前知人からゴルフの誘いを受けた。その誘い文句は「大自然の緑の中でスイングすると気持ちいいですよー」だとさ。私は若かりし頃から渓流釣りが好きで、八ヶ岳付近の沢筋に足繁く通ってイワナやヤマメを釣り歩いた。魚だけではなく、山ではタラノメやハリギリなどの山菜や秋にはキノコも採れた。ある年、幾度となく出掛けた沢を遡行していると、鉄条網が張られて遡行できなくなっていた。釣り人や沢登りの人も通行止めだ。そして翌年行ってみると、私は沢筋の光景に跪いてしまった。
あれほど清らかだった水がない。あるのは大きな岩々と枯山水のような水流の形跡。川底だった砂に耳を充てると微かに水の流れる音。完全に伏流していた。川底だったところを歩いて行くと鉄条網はまだそのままで、その上流にあった深い森が消えて広大なゴルフ場になっていた。川は水源の保水力を失ったんだ。
テリトリーを失った森の動物はどこへ逃げたのか。おそらく大雨の時にだけ流れる沢だから魚も水生昆虫も棲めない。駆逐された植物はどれほどのものか。水の枯れた沢を呆然と見ながら、皮肉にも私が保水していた水は目から溢れた。
儲けるためにゴルフ場を作る人、それを認可する県や国、そして気持ちよさそうにプレーする人。これはほんの一例でしかない。
人間は誰しもが気づかないまま、いや気づこうとしないまま、いや気づかないふりをしたまま、食物連鎖、弱肉強食のサークルから外れて君臨し、地球を壊し続けてきた。
150年先を見据えて作られた明治神宮の森も、償うにはまだ狭すぎる。試みた学者たちもそんなことは分かりきっているのだろう。かつての森林の起伏だけを残す多摩丘陵の住宅群。スカイツリーから眺める東京の景色。私には恐ろしい光景にも見える。おそらく地球から大きな仕返しを受けるのはそう遠くないことかもしれない。
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宮司の徒然 其の137町田天満宮 宮司 池田泉12月21日 |
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