造園業(株)ニワバンの創業者で、いずみ浄苑にローズガーデンを創った 佐藤 友義さん 野津田町在住 72歳
究極の癒やし生む庭師
○…町田で造園一筋50年。小山内裏公園やカリヨン広場の花壇、町田ターミナルロードの製作・整備などに携わり、町田シルクメロンの開発にも関わった。このほど「樹木葬」が特徴のいずみ浄苑に新設されたローズガーデンを手掛けた。桜、新緑、紅葉。ここにバラが加わることで、かねてより描いていた、四季折々、一年を通して色彩豊かな植物に囲まれる構想が叶う。
○…「造園のことなら誰にも負けない」。柔和な表情の中に強い自負を込める。好景気のさなか、自身の会社は東京都や国、URなど公共事業や大きな公園事業を手掛けるように。めきめきと実績を伸ばし、40代半ばの頃には、大阪の「花と緑の博覧会」での日本庭園の部大賞や、園芸文化賞を受賞した。しかし、「大きな事業ばかり狙いすぎた。調子に乗っていたんだね」。バブル崩壊による大打撃を受け、泣く泣く廃業することに。しかし「公共事業から離れる良いきっかけだったのかも」と一念発起。「これで、やりたかった設計ができる」と新会社を立ち上げ、街づくり事業や庭造りの仕事に励んだ。いずみ浄苑も再起を後押ししてくれた”恩人”だ。先代から、もう25年の付き合いになる。
○…「米どころ」新潟の農家に生まれた6人兄弟の末っ子。高校進学を機に上京し、日中、アルバイトをしながら夜間学校の学費を稼いだ。「農家のDNA」からか、自然の流れで東京農業大学に進み、日本全国の農業を学んだ。そこで「造園」に巡り合った。それからは、やりたいことに向かって一直線。
○…一人娘は嫁いでいき、今は奥さんと二人暮らし。身体を動かす仕事だからか、これまで大きな病気はしていない。「いつも植物に囲まれて癒されているから、健康そのもの。木から落ちてケガをしたくらいかな」と頬をほころばす。これからも庭造りを極めたいという。「理想の庭を、『これだ』という作品を残したいんだ」と目を輝かせ、語る。
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